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第8話 ホットチョコレート

「フィガロ先生、ちょっとお腹が空いちゃったな」

 フィガロのそんな一言が部屋に響いて、真面目に資料とノートに向き合っていた生徒たちは顔を上げた。お昼ご飯の時間から結構経って、集中して勉強していたために確かにお腹も空いてきたし、気付いたら喉も渇いている気がする。

 ルチルが思い切りよく立ち上がって軽く手を叩いた。

「じゃあ、おやつの時間にしましょう!」

 レノックスも身体をほぐしながら首肯する。
「そうだな。休憩を挟んだ方がうまくいく」
「無理をすると良くないですしね。何か食べたいものとか、飲みたいものとかはありますか?」
 フルールがそう言いながら四人の顔を見回すと、ミチルが「ホットチョコレート!」と顔を輝かせた。しかしすぐに「あっ」と声を上げ、視線を泳がせて両の指を手繰り寄せる。頬を紅潮させて、言葉を探して俯いた。
「その……えっと……」
「分かるわ、ミチル。いっぱい頑張って疲れた時には、うんと甘いホットチョコレートがぴったりよね」
 フルールが肩に手を置いたら、ミチルはホッと息を吐き、顔を上げて何度も頷いた。
「はい……! そう思います!」

 明るい弟の声を聞いて、ルチルも一緒に同じように頷いた。そしてルチルは手を挙げて「私はほろ苦いホットチョコレートが飲みたい!」と(おど)けた調子で主張した。
 それにフルールは笑い声を漏らして「はーい」と軽い調子で返す。フィガロとレノックスの方に顔を向け、首を傾げた。
「おふたりもホットチョコレートをお飲みになりますか? 作りますよ! フィガロ先生は甘すぎないように。レノさんは酸味があるのがお好みですよね」
「おっ、いいね。お願いしようかな」
「俺の好みも知っていたのか」
「ふふ、前に色々作ってみた時、酸味が強いのを特に美味しそうに飲んでくださってたから!」
「ああ……そういえば……『美味しいホットチョコレートの探求の会』に付き合ったこともあったか。流石フルールだ。お願いするよ」
「はい!」
 にこにこと微笑むフルールと顔を緩めるレノックスとは対照的に、ミチルは目を剥いて「美味しいホットチョコレートの探求……ってなんですか!?」と詰め寄った。フルールは笑顔を保ったまま「ミチルは小さかったから覚えてないかな?」とミチルの二の腕をからめとった。そのまま内緒話をするように小さく囁く。
「魔法舎の皆さんも誘って、今度やろうね」
「やった! 楽しみです!」 

 南の国のみんなであれこれと話しながら食堂に向かったら、中にはヒースクリフとシノの後ろ姿があった。大きな荷物を持って、座りもせずに立ち止まっている。どうやらブランシェットから帰ってきたばかりらしい。他にも誰かいるのだろうかと首を伸ばして食堂の中を覗くと、晶とネロ、それにファウストも食堂にいた。

 ファウストが食堂にいる姿を見るのは久し振りで、しかも東の国の魔法使い全員が一堂に会するのは、特にルチルとミチル、フルールには目新しくて、道の端に咲いた綺麗な花を見つけたような、ちょっと浮き足立つ気持ちになった。

 しかし、聞こえてきたヒースクリフの声は不安げで、強張っている。

「──ひまわり畑の人食魔女ビアンカの伝説が残る場所なんです」

 ヒースクリフのその言葉にレノックスが珍しく動揺を舌に乗せた。

「……ランズベルグ領のビアンカ……?」

 レノックス以外の南の魔法使いは晶たちに挨拶をするが、レノックスだけは言葉を失ったまま立ち尽くしていた。

 ヒースクリフが促すことによって、レノックスはぽつりぽつりと『ひまわり畑の人食魔女ビアンカ』が知人で、そしてかつての同志であると口にした。ヒースクリフは、それならば詳しい話を聞かせてほしいと頼み、レノックスはそれを了承した。

 フィガロは息を吐き、肩を竦めて「それなら場所を変えよう。食堂で話すようなことじゃないだろう」とレノックスの背中を叩いた。

「ああ……そうですね。ごめんレノックス、配慮が足りなかった」
「いや、構わない。大丈夫だ」

 フィガロは南の若者たちに向かって柔らかい微笑みを向ける。

「俺たちはヒースクリフの話を聞いてくるから、ホットチョコレートはまた今度、作ってくれるかな」

 ルチルとミチル、フルールは目を丸くし、一回顔を見合わせた。無言のまま、視線で三人の考えをすり合わせて、憂いの色を浮かべながらもはっきりした口調でフィガロに意見する。

「私たちもお邪魔してもいいですか? もしかしたら人手が必要なことかもしれませんし」
「ボクたちも、力になりたいです! 少しでもできることを見つけたいです!」
「ホットチョコレート、すぐ作って持っていきます。……甘くてあたたかいものがあった方がちょっと安心できるでしょう?」

 生徒たちの純粋な目を受けて、フィガロは両手を上げてその提案を受け入れた。

 他の人たちには先に移動してもらっておいて、フルールは足早にキッチンに入り、魔法で材料を取り出した。本当はチョコレートの種類や作り方にも拘りたいところだが、今日は話に遅れないように早く作り終えるのが優先だ。幸いにも、ホットチョコレートはトッピングによって味の調整が出来る。ちょっと苦めの、酸味のあるチョコチップをベースとして、それでも甘みやまろやかさも足して、一息いれられるような味にしておく。それにマシュマロと角砂糖、香辛料にジャムも用意した。全部持っていって、個々人で調整をしてもらうのがいいだろう。ホットチョコレートの気分ではない人もいるかもしれないと考えて、念のために紅茶も淹れておいた。

 全部を大きなトレイに乗せて、フルールは談話室へ向かった。
 窓からは傾いた太陽の光が入っている。今日は雨でもなく、風も強くなく、穏やかでいい天気だ。
 歩みを進める中、先程のヒースクリフとレノックス、それにファウストの言葉に思いを馳せた。

 四百年ほど前に処刑されてしまった魔女のビアンカ。
 祖母と両親と妹を大切にしていた、レノックスの同志。

 その彼女の呪いのせいで、のどかな村で暴動が起きてしまいそうになっている。

 無意識に遠い世界だと思っていたようなことが、目前に迫ってきた感じがする。

 レノックスがあんなふうに動揺するのを、フルールは初めて見た。もちろん彼と年齢差があって、歩いてきた道も違うというのは理解している。それに、レノックスが「歴戦の勇者」だったということはフィガロから聞いていた。だから今までも何となく想像はしていた。それでも、親しいひとが過去に壮絶な体験をしていて、その喪失をずっと抱えていた事実を改めて知ると、胸が苦しくなる。恐らくこれも、きっと「歴戦」の一端でしかないのだろう。静かな廊下で、フルールの靴音だけが大きく聞こえた。

 心の奥の、凍てついたものに触れるような気配がする。
 氷の向こう側にみつあみが揺れた気がした。