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第3話 南の国の日常

 フローレス家にいる子どもたちは周りの人々の助けを借りながら、すくすくと大きくなっていった。年相応の勉学はモーリスから、健康のことや怪我の処置、魔法の使い方はフィガロを先生として学んだ。そういった学習だけでなく、日常生活で必要な動物たちとの接し方や家事の効率の良いやり方、料理のレパートリーなど、レノックスや近所の人たちからもたくさんのことを教えてもらった。子どもたちは素直にそれらを吸収し、常に感謝の気持ちを忘れなかったので、周りの先達たちは惜しみなく知識を授けていった。

「レノさん! ミチルに羊さんを触らせてあげてもいいですか?」
「ああ、おいで」

 秋の昼下がり、レノックスが高原から帰ってきたすぐの日ことだ。とても天気が良くて、風が爽やかで、誰からともなく「みんなでお茶にしよう」と言い出した。大人も子どもも、合間の時間をぬって広い草原に集まった。椅子やテーブルを持ち出すような優雅なことはせず、大判の敷物を広げて思い思いに座る。何も言わずとも、ひとりひとりが紅茶やお茶菓子、それに綺麗な花などを持ってきて楽しいひとときを過ごしていた。

 モーリスもルチルもフルールもみんな、かわいい末っ子にたくさんの経験を積んでほしくて、ミチルも一緒に連れてお茶会に参加した。
 ミチルはまだまだ幼いから、このお茶会に参加したことだって覚えてはいられないはずだ。そもそも状況を認識しているかだって怪しい。しかし、それでもきっと、何となくだって楽しい思い出は心を弾ませ、生きる糧となって世界を彩るだろう。彼らはそれを真っ直ぐに信じていた。

 レノックスがミチルをゆっくりと膝に乗せた。子どもの体温と重さを感じて、彼の頬が僅かに緩む。
「ミチル、大きくなったな」
 その様子を見て、ルチルとフルールがレノックスの両脇に陣取りながら何度も頷いた。
「そうですよ! もう、ちっちゃい子って本当におおきくなるのが早くって」
「ふしぎなんです。『昨日よりおおきくなった気がする!』ってびっくりすることも多いんですよ」
「毎日毎日どんどんかわいくなっていって」
「ね、いっぱい色んなことがあるよね」
 頬を赤くして口々にミチルの成長への喜びを表す子どもたちをレノックスはあたたかい目で見守った。戦乱の時に生まれたレノックスにとって、こうして穏やかで平和な時間に仲のいい家族を見るのはとても喜ばしいことだ。

 羊を呼んでミチルに近づける。ミチルは目を丸くさせていた。
「ミチル、羊さんだよ」
「はじめましてだね」
「やさしくさわってあげるんだよ」
 そう言いながら少しだけ年嵩の子どもたちはミチルを羊の方へと誘導した。その動作は決して強制するものではなく、ミチルや羊が怯えないようにと思いやりに満ちていたものだった。
 ミチルは恐る恐る手を伸ばして、羊に触れた瞬間に未知のものへの感激で目を輝かせた。
「ふわふわでしょう!」
「もうちょっと中をさわると、もっともこもこだよ」
「この毛がセーターとかマフラーとかにもなるんだよ」

 レノックス以外の大人たちも子どもたちの様子を見て柔らかく微笑んでいた。フルールは両親を、ルチルは母親を幼くして亡くしてしまって、どうなることかとずっと近所の人々は心配していた。しかし、彼らを養育するモーリスの優しくてあたたかい人柄もあってか、真っ直ぐに逞しく育っているようだということがよく分かる光景だった。

 そんな希望はとても良いものだ。しかし、だからこそ寂しくなるものもある。
「こういう時に歌がないと静かねえ」
「そうだなあ。フルールが大きくなってますます母親に似てきたから、どうしても思い出してしまうし」
「誰か歌える? 歌詞がちょっとあやふやで」
「歌えるぞ!」
「あなたの歌声はだいぶ違うからおうちに帰ってから歌ってね」
「フィガロ先生、こういう時って魔法でどうにかできないの」
「ええっ、ちょっと俺には難しいなあ」

 がやがやと大人たちが思いを馳せているのがフルールにも聞こえてきて、彼女は目を瞬かせた。姿勢よく立ち上がって、そのまま大人たちに向かって宣言した。

「わたし、歌えますよ」

 吟遊詩人の夫妻は、フルールがかなり幼い頃に亡くなった。だから近所の人々は、両親が歌っていたものを彼女も歌えるとは思っていなかったので瞠目した。

 しかし、フルールは魔女だ。そして、誰にも気づかれていなかったが、特別に記憶力が良くて、最期の贈り物として「両親が築きあげてきた吟遊詩人としての全てのもの」を授かっていた。

「まっててくださいね。ちょっと楽器をもってきます! ルチル、ミチルをおねがいね」

 そのまま止める間もなくフルールは生家に向かって駆け出した。
 残された大人たちは苦笑いをして、「フルールもあんなに大きくなったんだ」と話を咲かせた。

 フィガロはそっとルチルに近寄って小さな声でささやいた。
「ルチル、フルールの歌がどんなでも、絶対に褒めてあげるんだよ」
 その言葉にルチルは眉を釣り上げた。
 子どもというものは概して正直なものだから、かわいい生徒が傷つかないようにとフィガロは親切心からそう言った。だが、もう一人のかわいい生徒の気分を害してしまったようだと気付いてフィガロは頬を掻いた。
「もう! フィガロ先生、それは失礼ですよ。フルールは本当に歌えますから」
「ごめん、ごめん」
「先生、信じていないでしょう! わたしだけじゃなく、父さまもフルールの歌をとっても上手だっていってるんですよ」
 ルチルはモーリスの方を見た。
 ルチルの声がだんだん大きくなっていたため、モーリスにも話している内容は聞こえていた。口を尖らせながらも、ルチルの表情はその輝きを失っていない。父親はそれに応えて満面の笑みで力強く頷いた。ルチルの背中を軽く叩いて呼吸を落ち着かせる。
「そうだね。フルールの歌はとっても上手で、伸びやかで、素晴らしいよ。自慢のフルールの歌、みんなにも聴いてもらえるのはすごく嬉しいね」
 父親からもらった肯定にルチルは頬を紅潮させて何度も頷いた。フィガロの手を引っ張ってぶんぶんと振り回した。
「はい! とっても! フィガロ先生も、楽しみにしてくださいね!」
「うん、うん、分かった。分かったよ」
 モーリスはその様子に微笑みを浮かべながら、フィガロに「期待していていいですよ」と悪戯っぽくささやいた。

 フルールの生家は、彼女がフローレス家で生活するようになってからも残されていた。
 よく手入れをしに来ているので、家は居心地の良い状態を保ち続けている。そこには思い出の品もたくさんあり、そして吟遊詩人としていずれ必要になる数々の詩や楽譜、楽器がある。
 生前、歌うにあたってフルールの父親は竪琴を、母親はリュートを相棒の楽器としていたが、我が子が何を好むかは分からないと、夫妻はたくさんの楽器を遺していた。保存の魔法もかけられていて、手入れの方法も記されていた。だからフルールは存分に好きな楽器を選ぶことができる。

 フルールは迷いなくその中の楽器を一つ手にとった。

 父親のものよりも小さくて、子どもにも扱いやすい小型化された竪琴だ。本当はフルールは父親のものと同種の楽器の音色が好きなのだが、現在の体格ではそれは大きすぎた。だから、今は小型のものを使っている。すでに使い込んでいて、演奏方法も癖も分かるし、手によく馴染んでいる。今日という日にちょうどいい楽器だ。

 身体に力が入っているのを自覚して、フルールは深呼吸をした。自分の息遣いだけが静かな部屋に広がっていた。一度目を閉じてから竪琴を一弦一弦鳴らし、音を合わせる。その音は軽やかで高く響く。フルールの浮きだった心のようだった。大勢の人の前で歌うのはこれがはじめてだ。だからドキドキする。でも、それ以上に楽しみだ。

「お父さま、お母さま、わたし、歌うの。ふたりみたいに、歌いたいの!」

 ここには誰もいないけれど、それでも心の中には両親がいつもいる。だから、フルールは彼らに宣言するように声を上げた。

 両親が吟遊詩人だったというのも大きな理由ではあるが、ただそれだけの理由ではなく、フルールは彼らの姿を見て、あんなふうに歌いたいという気持ちを抱いていた。

 自分の歌で人々の心を揺り動かせたらどんなに幸せだろうか。ずっと続く歴史や物語を伝えられたらどんなに素晴らしいだろうか。
 もしかしたら、その結果は何も残らないかもしれない。でも、一瞬だけでも、誰かの心にあたたかさとか、希望とか、慰めとか、そんなものの種を残せたら。自分が生きている時でなくとも、歌が残って、いずれ誰かの未来に花咲いたら。
 そんな「もしも」を思い浮かべる。途方もない願いで、奇跡で、気が遠くなるような話だ。でも決して可能性がないわけではない。誰にも否定することはできないはずだ。だって、両親の歌はあんなにもフルールを心を彩った。頭の奥がふわふわする。

 ──いつかそんなふうに歌を紡げたら。

 それは、とっても素敵なことだ。

 心に光を抱いて、フルールはみんなの元へと戻った。
「おまたせしました!」
 大人たちは「待ってたよ!」とか「がんばって!」とか言って和やかにフルールを迎えた。
 ルチルはフルールの手を取って自分の隣に座らせる。そして鼓舞するように背中を優しく叩いた。

 フルールはすっかり強張りも取れて、にこにこと微笑むことができた。
 小さく呪文を唱えて、簡単な魔法ではあるが、周囲に広く音が響くようにする。
 竪琴を構えて、息を吸った。
 おなかの方に柔らかな空気が落ちていく。
 身体にあたたかさを循環させる。
 祈りを捧げるように、心の中で拍をとる。
 わずかに手を動かして、世界とのすり合わせをする。

 歌よりも先に弦の音が鮮やかに響いた。
 近所の人たちが想定していたよりもしっかりとした音だったので、驚きの声がいくつも漏れ聞こえた。
 しかし、フルールの歌声が竪琴を追って調和をなすと、周囲は言葉をなくして嘆息した。
 まだ声は子どもの持つそれだが、しかし甘やかに広がる歌は、確かに彼女が「演奏者」ではなく「歌うたい」としての素質を持ち、愛されるべき存在であるという証明であった。彼女の歌は天上の方まで伸び、世界を震わしていた。

 最後の一音まで歌いきり、弦を鳴らし、そして止めると、フルールの周りは拍手でいっぱいになった。はじめはそのことをよく理解できなかったけれども、次第に状況が飲み込めて、嬉しさと誇らしさで頬が紅潮した。
 ルチルが「すてきな歌をありがとう」と満足そうにフルールの肩に手を置いた。そしてフィガロに向かって「だから言ったでしょう!」と胸を張った。謝りながら、フィガロも笑顔になって拍手をしていた。