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第6話 早朝の散歩

 晶とクロエとルチルとフルールのみんなで朝の散歩に行く当日、集合の時間よりもだいぶ早くフルールは目を覚ました。身動ぎをして体を起こすと、隣にあった体温はすでになく、カーテンの隙間から漏れる朝日を背にしながらルチルはもうスリッパを履いて背伸びをしていた。
「あっ! おはよう、フルール」
「おはようルチル。先越されちゃった」
「んふふ、そう、早起きしました!」
 そう言いながらルチルはフルールの頬に軽く唇を落とす。フルールも同じようにお返しをした。
「──フルールは他にも運動とかしてからお散歩に行くと思って、今日はお付き合いしようかなって!」
 ルチルは流れるようにフルールの手を取って踊るように身を寄せた。「わ」と声をあげるフルールを見つめてルチルは満足そうに笑い、それに気付いたフルールにも微笑みが伝染した。
「ふふ、やった! 一緒に行くのは久し振りね」
「ね、楽しみ!」

 各々の役割を果たしつつ、ルチルとフルールは大抵の時間を一緒に過ごしている。雲の街の住民、それに晶や賢者の魔法使いたち、クックロビンやカナリアも、ふたりを知っている者は「ルチルとフルールはふたりで一組だ」という認識を抱くくらいには一緒にいる。どちらかが不在の時でも、もう片方の予定を聞けばすぐ答えが返ってくるし、その片方に用事を伝えておけば下手に帰りを待ったり、探し回ったりするよりもずっと早く伝達されることを周囲の人々は自然に理解するほどであった。
 それでも、ルチルもフルールもそれぞれの仕事や用事に関連することはある程度の距離を置くことが多い。年齢を重ねて世界が広がるにつれ、個々人の中に秘めておくべきものがだんだん増えてきた。それに、全てを共有しているとその大きさに押し潰される恐れもあるだろうとなんとはなしに感じていた。

 それ故に大抵の場合、フルールの早朝の運動や体づくりの基礎鍛錬にはルチルは参加せずに身体を休めることか、もしくは朝の家事や自分の用事を優先させていた。

 しかし、やっぱりお互いの領域であるところを出来る範囲で重ね合わせるのは安心もするし、ワクワクもするし、ドキドキもする。だから、時々一緒に早朝の運動に付き合うくらいはちょうどいい遊び事であった。

 動きやすい格好に着替え、ルチルはフルールの、フルールはルチルの髪の毛をそれぞれ邪魔にならないようにまとめて足取り軽く外に向かった。

 今日の天気は、透き通るような空が広がる、気持ちのいい快晴だ。

 一通りストレッチや体幹のトレーニング、走り込みなどを終えた後にルチルとフルールは待ち合わせ場所である中庭の噴水の縁に腰を下ろした。晶とクロエはまだ来ていない。予定の時間よりもまだちょっと余裕のあるタイミングだった。夫婦はその短い時間も、他愛もない話をしたり、小さなスケッチブックに落書きをしたりして、ふたり一緒に笑いあいながら過ごした。

 間もなくして晶とクロエが一緒に来た。
 話を聞くと、クロエが晶のために動きやすい服を朝一番にプレゼントしに行ったらしい。朝の散歩はもちろん他の運動にもぴったりな軽さと伸縮性をもちながらおしゃれでスタイリッシュなそれは、朝の太陽よりも輝いているように見えた。
 みんなでその運動着も、その服を着た晶のことも、そしてそれを作ったクロエのことも口々に褒め称えながらその日の散歩へ出発した。

 見慣れてきていた景色も、みんなと楽しみながら歩いているとまたいつもとは違う煌めきを発見することができる。風は爽やかに吹いているし、日差しは柔らかく降り注いでいる。
 あの木がとても大きくて素敵だと近寄ってみたら、その根本で猫がその身体を無防備に大地に投げ出し、悠々と寝そべっていた。長い毛が光に透けて、その輪郭を淡く包んでいる。
 その猫の邪魔をしないように木から遠い茂みに隠れて、小さな声で囁き合う。
「猫、猫だ……!」
「かわいい……! 気持ち良さそう!」
「あんな子も魔法舎のそばにいるんですね、見かけたことがない子です……!」
「私も! 見たことない子です! でもすごくリラックスしてますね!」
「確かに! ここが縄張りなのかな」

 そんなふうに言い合っていると、後ろから「あの猫はよく朝ここで日光浴してるぞ」という声がした。
 四人が後ろを振り向くと、そこにはカインがいた。いつもより軽装で、剣を片手に持っている。額には汗が滲んでいるが、息は整っており、いつも通りその背筋は伸びて騎士然としていた。
「ええと、賢者様に、クロエと、ルチルとフルールか。おはよう! 悪いが俺の手に触ってくれないか」
「カインさん、おはようございます!」
「おはよう!」
 挙げられた手に順番にハイタッチして行き、ようやくカインと視線が合うようになった。
「カイン、おはようございます。朝から剣の鍛錬ですか?」
「まあな、習慣みたいなもんだ! そっちはみんなで散策か?」
「そうです。クロエが誘ってくれました!」
「お、いいな! 俺も交ざってもいいか?」
「もちろん! でもいいんですか、ゆっくり歩いてる感じなんですけど」
「身体を休めるのにちょうどいいさ。みんなで一緒に話しながら歩けるのも楽しいしな!」
 そうカインは軽快に笑った。他の四人も「やった!」と笑みを浮かべた。

 ひとり同行者が増えるだけでも、賑やかさと楽しさがとても大きくなった気がする。猫のいる木の近くから離れて、歩みを進めながらおしゃべりを続けた。
 クロエは頬を紅潮させて両手を広げた。
「俺、こんなにみんなで話しながら朝の散歩することなんてなかったからすっごく嬉しい! ラスティカは早くには起きないし……」
「前に一緒に行ったけど、その時も俺とクロエのふたりだけだったしな」
「俺が朝の散歩を始めた時だ! あの時カインが一緒に行ってくれたのすごく嬉しかったよ!」
「おっ、それは俺も嬉しいな!」
 カインがクロエの背中を叩いた。クロエははにかみながら自分の髪の毛をいじった。

 そんな会話を聞いていて、晶はふと出てきた疑問を口にした。
「早朝に……カインとクロエと、フルールもよく外に出ているんですよね。他の魔法使いの皆さんにも会いますか?」
「そうだな……シノと、レノックスが身体を動かしているのは結構見るよ。シノは今日も見かけたな」
「俺もそのふたりかなあ」
「私も! シノもレノさんもとってもかっこいいんですよ」
 そんな三人の答えに、ルチルが顔を輝かせた。
「わあ、そうなの? いいなあ、見てみたい!」
「そういえば、今日はまだ会えてないね。シノは結構森の奥に行っているイメージだけど、レノさんはもう見かけていてもおかしくないと思うのに」

 フルールが周囲を見回していると、ガサガサと音を立てて話題になっていたシノがやってきた。話を聞いていたのか、得意げそうな顔をしている。
 挨拶を交わして、改めてシノのかっこよさを称えたら鎌を持ち直して、もっと笑みを深めた。そして思い出したように言葉を続けた。
「ああそうだ、南のあいつ──レノックスは今日は来ないと思うぞ。ファウストの所で寝ずの番ってやつをやっていたのを見た」
「……そうなんですね」
「寝ずの番!? わあ、すごいね……!」
「そりゃあ来ないな……。せっかく賢者様がいるし、レノックスにも会えたらよかったんだけどな」

 シノとカインとクロエが会話を膨らませる中、晶はレノックスがこの前言っていたことを思い出した。外に出ようとしないファウストへの対応について、「少し任せてほしい」とレノックスは言っていた。そのひとつがきっと、夢が外に漏れ出ていないか「寝ずの番」をして見張り、確認をすることなのだろう。
 同時に、晶が魔法舎に来たばかりの時、一緒に朝ごはんを作っていたヒースクリフの言葉も脳裏によぎった。ヒースクリフは、晶と同様にファウストも猫好きだと柔らかく話していた。
 結局のところ、まだ一緒に猫の話はできていない。そういう話ができる状況ではなかったし、そんな話ができる仲にもなっていなかった。
 ファウストは、さっき見かけた猫のことは知っているだろうか。餌をやったことはあるだろうか。撫でたことはあるだろうか。あだ名をつけているだろうか。
 夢が漏れ出ていないと分かって、ファウストの心が落ち着いたら、話せる時が来るのだろうか。
 晶にはまだ、その想像ができずにいた。

「寝ずの番……」
 ルチルとフルールのふたりも、会話に入らずに眉を下げていた。ファウストとレノックスが既知の間柄──ファウストはともかく、レノックスがそうだと言っていることは知っているが、だからと言って一晩警護をするというのは体の負担になる。人は眠らないと本来の力を発揮できない。ましてや魔法使いは心で魔法を使うものだから、余計にその影響を受けやすい。強い魔法使いなら寝不足への対処もたくさんあるのかもしれないが、世界で二番目に強い魔法使いのミスラでさえ眠れないことで辛そうにしているのだから、ぐっすり眠るに越したことはない。──ただし、ミスラに関しては厄災の傷という問題と、長期間の不眠が重なることでまた事情が異なり、複雑な問題となっている。
 レノックスは歴戦の戦士だという話だ。だから、寝ないで見張りすることだって慣れているのかもしれない。でも、それでも心配なものは心配だった。
 ルチルはフルールにこっそりと頭の中で語りかけた。

 ──今日は、ちょっと授業を遅らせてもらおうか。
 ──ええ、そうね。ミチルが拗ねちゃうかもしれないけど……。
 ──三人だけで自習して、その成果を見せようって言ってみよう!
 ──それはいい考えね!

 ルチルとフルールのふたりはお互いの指を手繰り寄せて、絡ませて、ぎゅっと握った。