賑やかな飲み会の最中、お酒をほどよく飲んだところでフィガロはルチルを手招きした。
ルチルは何を疑うでもなくにこにこと笑いながら「なんですか?」なんて明るい声をして近くにやってきたので、フィガロは大変気分をよくした。
少し周囲から離れて、誰にも聞かれないようにと小さく呪文を唱えた。別段ここまでする必要はないと思ってはいたが、それでもこの話の内容が聞こえたら「無粋なことだ」と気分を害す人がいるかもしれない。フィガロは「優しい優しいフィガロ先生」のイメージを壊したいわけではないのだ。だったらそもそもそんな話はしなければいいのだが、それでも気になるものは気になった。
確かにルチルとフルールのふたりはとても仲が良くて、どちらも結婚をするのならお互い以外の選択肢はなかっただろう。でも、たとえ過去と今がそうだったとしても、まだまだ長い時を生きる若い魔法使いのふたりが結婚をしてしまうというのは時期尚早に思う。
「ねえ、聞いていい? 結婚の決め手は何だったの?」
そうフィガロが聞いたら、ルチルは口をへの字に曲げて不満げに頬を膨らませた。
「だって、フルールはずっと私のことを『家族』って言ってくれなかったんですよ!」
フィガロは頭を捻った。まるで気付けていないことだった。自分の記憶を辿ったが、やはりそんな雰囲気はなかった気がする。
確かに、フルールは幼い頃に両親が亡くなったためにフローレス家で育てられただけで、血の繋がった家族というわけではない。でも、チレッタも先生も、子どもたちみんなを慈しんで、分け隔てなく育てていた。そしていつだって彼らは仲が良くて、当たり前のように一緒にいた。
「そうかな、きみたちはいつだって家族のように見えていたけれど」
「そう! とっても分かりにくいので、もしかしたらミチルも母様も、父様すら気付いてなかったかもしれません。フルールはいつもどこか遠慮していて、私たちにとって何か不都合となればいつでも離れられるようにしていたんですよ。そんなの、嫌じゃないですか」
それに、とルチルは穏やかな顔をして続けた。
「フルールは世界中を巡って歌っているでしょう。帰ってきた時の顔が、とっても生き生きとしているんです。ご両親もずっと旅を続けていたと聞いています。フルールも本当はそんな自由な生き方が合っているのかもしれない。飛び立って、いつか帰ってこなくなる……そんな予感がどうしても拭えなくて」
確かに、フルールの両親は長い間定住地を決めずに生きていた。南の国に住むことになったのは父親の方の療養のためで、それがなかったらいつまでもひとところに留まるなんてことはなかっただろう。
両親のことを愛していて、その生き方をたいそう尊敬しているフルールが彼らのように飛びまわって生きていく光景は容易に想像ができた。でも同時に、移動魔法の教えを乞うフルールの姿が浮かんだ。あれを思うと、やはりフルールは南の国の魔法使いらしく故郷のことが大好きで、ルチルが抱いているような心配はする必要がないように思えた。
しかしフィガロがそう口にしてしまうのはどうにも野暮な気がして、沈黙を保った。
「だから、どうか私のもとに帰ってきてと、そう懇願できる立場が欲しかったんです」
「結婚を──約束をすることに不安はなかったの?」
「ええ、全然!」
ルチルは満面の笑みで答えた。それは、フィガロにとってはすごく眩しかった。

診療所の手伝いに来てくれたフルールにも、フィガロは同じような質問をした。
「フルールは、どうしてルチルと結婚しようと思ったの?」
ルチルとは違って、フルールはその質問を聞いてとても楽しげに笑った。手に持っていた薬草を置いて、フィガロの方に向き直す。スカートがひらりと揺れて、綺麗なラインを描いて落ちた。
「ふふ、私は欲張りなんですよ。大切な人のずっと隣にいられることを許されて、お互いにはお互いだけって約束できるって、とっても素敵なことじゃないですか?」
「うん、そうだね」
口ではそう言いながらもフィガロは自身の師匠たちを思った。無意識にあの二人だけは永遠だと信じてしまっていた。でも、それは叶わなかった。当たり前のことだ。世界が、人の心が、ずっと変わらないなんて、そんなことはないんだから。
「……でも、約束をすることに不安はなかったの?」
「ありませんでした」
強い意志を秘めた目でそう言い切った姿に、フィガロは少し驚いた。フルールがここまで断固として言葉を述べるのはなかなか見たことがなかった。
「だけど、それは約束が絶対に破られないと確信しているからではありません。長く生きたら、ふたりとも心変わりすることがあるかもしれません。未来がどうなるかは分かりませんから。ふふ、いずれ後悔するかもしれませんね。……ううん、でもやっぱり、ずっとずっと、愛して共にいることを、私もルチルも誓えます。そして、そう在れない未来を恐れて立ち止まってしまうのは、やっぱりもったいないことだって……そんなふうに思います」
フルールは胸を張って、ゆったりと微笑んだ。無謀な愚者ではなく、たくさんの恐れを理解した上でそれでも手を取ることを選んだ者の堂々たる姿がそこにはあった。
生きていく上で大切にしているものを同じくしているだろう彼らの約束が破られる時は、きっとその魂の核である部分が壊れる時なのではないかと、フィガロはなんとなく考えを巡らせた。それはもう、それまでの彼らが死んでしまったのと同じようなものだ。一方で、約束が破られて魔法が使えなくなったとしても、それすら愛して世界の煌めきを見つけていく彼らのことも思い浮かべることができた。でも、どちらにしたってそれはひどく寂しく思える。フィガロは変わらない愛なんて信じていなかったが、どうかそんなことが起きず、彼らが末長く幸せでいてほしいと願った。長い時を生きる魔法使いにとっては日常茶飯事である世界の変化も、心の移り変わりも、なんでもないように笑い飛ばしてくれたらいいなんて、何も知らない無垢な子どもみたいなことを思う。
「私は今、ルチルのことを信じているし、私自身のことも信じています。結婚をしたことがとても幸せです。人生の中で、そんな幸せが存在するってことを知ることができた、だから、不安なんてないんです」
フィガロの頭の中に何となく浮かんできた言葉があった。予言や、強い魔法使いが自らの寿命を悟るなどの例外を除いて、いつ、どんな死がもたらされるのかの未来は分からない。いや、その例外だって事細かに全てが分かるわけではない。だから今この瞬間を大切にして、幸せを逃さないように生きていく。なるほど、彼女の生き様としてこれ以上なく合っているのだろう。
「『死を想え』、か」
「ええ、『今日という日を摘み取るのがよい』ですよ」
同じ意味を持つ言葉でも、フィガロがこぼしたものと、フルールが紡いだものとでは違う響きがした。
「フィガロ先生、心配してくださってありがとうございます。もし、私たちの約束が破られるようなことがあれば、『だから言ったのに!』って笑ってくださいね」
「嫌だなあ。俺、そんなことしないよ」
純粋な顔でずいぶんと無邪気に言われたので、フィガロは「そんなふうに見えるの?」と頬をあげたりひっぱったりして自分の顔をほぐした。

フィガロは、自分の家で昼間から酒をあけていた。手足を大きく投げ出して、テーブルの上に顔を伏せて、それはまさしく「ちょい悪オヤジ」の姿のようだなんて思って、ちょっと笑った。
パタパタと軽い足音が外から響いてきた。恐れることを知らないかわいい子どもの気配がする。明るくて、のどかで、それはまさしく平和を表している。
その子は扉をノックし、フィガロが「どうぞ、開いてるよ」と答えたら勢いよく部屋の中に入ってきた。
「うわ、フィガロ先生! もう、またお酒を飲んで!」
飛び込んできたミチルは部屋の中に広がるアルコールの匂いに一瞬足を止める。しかし、顔をしかめながら奥に進んで窓を開けた。爽やかな風が部屋中を通り抜ける。ほてった体にその温度が心地よかった。
「まだこんなに日が高いんですよ。飲みすぎないでくださいっていつも言ってるじゃないですか!」
酒瓶を取られてしまって強制的に一人酒が終了してしまったが、こうして世話を焼かれることが嫌いではなかった。
テーブルの上にはミチルが持ってきた薬草についての本が置かれていた。きっと今すぐにでも聞きたいことがあっただろうに、それでも先にフィガロのための水を用意している。くすぐったくて、愛おしい光景だ。フィガロは世界中がこんなふうになればいいと、本当にそう思っている。
「ミチルはさあ、ルチルとフルールが結婚して、気まずいこととかはないかい?」
なんとなくフィガロはミチルにもそう聞いた。それは純粋な興味でもあったし、もし何か問題があれば先生らしく新婚の夫婦に忠告してやろうという気持ちでもあった。
ミチルはきょとんとして、それから大きく首を振った。
「まさか! 兄様と姉様が結婚して、たしかにふたりの距離は前とはちょっと違うなって思います。でも、ふたりがボクのことも大好きで、ボクに気を遣ってくれていることはよく分かるので、全然気まずくなんてないですよ」
「そう、それはよかった」
フィガロは手を頭上にやって体を伸ばしながら天井を仰いだ。南の国で育った子どもたちは、しっかりとした良い子に育っているようだ。
ミチルは言い切った後に視線を下にやって、指をいじりながら言葉を続けた。
「でもフィガロ先生、少し……ほんの少しだけですよ。ちょっと……寂しくなる時もあるので、その時は、話に来てもいいですか?」
フィガロは満足げに笑った。かわいい生徒に頼られるのはいつだって嬉しいことだ。
「もちろん! いつでもおいで」
