年齢が重なるにつれて、ルチルは教師、フルールは吟遊詩人と、自分の将来の方向を定め、それぞれに特化した準備も本格的に始めた。それでも一緒に過ごす時間はなくなりはしなかった。
ルチルがどうやって教えたら良いのかを悩んでいる時には、フルールは横から覗き込んで一緒に悩んだ。フルールが生家に戻って練習をしている時には、ルチルも部屋の隅で色々なことをしながら、時々感想を言っていた。
遊びたい時には一緒に近くの花園まで駆けて行って、かくれんぼをしたり、一緒に絵を描いたりした。草のざわめき、漂う花の香り。それは二人にとってとても心地の良いもので、何度訪れても、とっておきの場所だった。
フルールは十六歳になった時に吟遊詩人としての仕事を始めることにした。
魔法使いとしてまだまだ若くはあったが、それでもフルール自身ができるだけ早く、両親がやってきたように世界中にたくさんの歌を届けたいと強く希望していた。世間の厳しさを知るフィガロやレノックスはかなり難色を示したが、フルールは魔法の腕もなかなかに上がっていたし、両親が遺してくれた守護が未だに強く存在していたので、まずは南の国の近場の方で活動することで話がまとまった。
残っていたメモや手紙を見る限り、両親は生前からお得意様にフルールが吟遊詩人の道を継いだ場合を見越して話をつけていたらしい。彼らへの連絡方法や注意事項など、様々なものを遺してくれていた。それを元にして計画を立て、更に周りの大人たちにもあれこれ相談をして、あっという間にフルールの初仕事は決定した。

フルールが初仕事に出かける朝、ルチルはにこにこと嬉しそうに笑っていたが、ミチルはずっと下の方を向いていた。
フルールがミチルの顔を覗こうとすると、口をへの字に曲げてそっぽを向いた。
ルチルは弟を窘めようとしたが、フルールが先に口を開いたので譲り、それでも離れずに見守ることにした。
「ミチル、ご機嫌ななめかしら。理由を聞いてもいい?」
そうフルールが聞いたら、ミチルは口をもごもごさせた。でも声は出てこなかった。子どもたちの息遣いが部屋の中に響いていた。外からは葉がざわめく音が聞こえてくる。
「あなたの気持ちを教えてくれたら嬉しいな。自分でも言葉にできなさそう?」
ミチルは鼻をすんと鳴らして俯いた。
フルールはミチルをゆっくりと待ったが、それでも言葉が出てこなさそうな雰囲気を感じて、彼の手を包んだ。大切な人のことを傷つけないようにするにはどうすればいいのかを悩みながら、ゆっくりと問いかけた。
「ミチル、ねえ、抱きしめていい?」
小さく首肯したのをみて、フルールはそっとミチルの背中に手を回した。穏やかにその手を動かし、背中を撫でる。
「大丈夫、大丈夫」
ミチルはフルールの肩に額を押し付けた。小さな体の緊張がとけて、もう一度、鼻が鳴った気配がした。
「……姉さまは」
「うん」
「──姉さまは、とおくに行かないですよね」
「うん、行かないよ。私はミチル達がもう嫌だって言わない限り、ずっと一緒にいるよ。今日だってお仕事が終わったらもう、すぐに帰ってきちゃうんだからね」
だから大丈夫だよ、とフルールは繰り返した。
ミチルはしばらくそのままうつむいていたけれども、しばらくして顔を上げた。鼻も耳も赤くなっていて、どこか気まずそうだけれども、その表情は晴れやかだった。
「今日、姉さまといっしょに寝てもいいですか?」
「うん、いいよ」
フルールが快諾すると、ずっと静かに見守っていたルチルも声を上げた。
「それなら私も一緒にまざろうかな!」
「あら。どうかな、ミチル?」
「兄さまもいっしょだと、もっとうれしいです!」
「決まりだね!」
フルールは一家のみんなと抱きしめあってから出発した。

自分の仕事のパートナーとして選んだ楽器は、父親のものだった竪琴だ。成長して背が伸びた今もやはり大きいけれども、落ち着いた音はフルールの心を優しく撫でる、素敵な楽器だった。そしてそれはフルールの魔道具でもある。
リュートを愛用していた母親が見たら「自分のものを使ってほしかった」と悔しがるだろうか、と一瞬思った時もあったが、母も、そして父もお互いのことが大好きで、まだまだ幼くて自我もあやふやだったフルールのことも尊重してくれていたから、きっと喜んでくれるだろう。そんなあり得なかった光景を想像してフルールは微笑んだ。
初仕事の内容は、今度成人を迎える人の誕生日会で、ご両親から会を盛り上げ、そして祝福するための歌をお願いしたいということだった。
フルールはまだ独り立ちはできていないし、もちろん子どももいない。だから想像をすることしかできないが、人生の節目の時のとても大切な時間だ。はじめこそ亡き両親からの伝手で話がきたが、それだけでなく実際に打ち合わせをして「あなたにぜひ任せたい」と言ってくれて、胸がいっぱいになった。元々力いっぱい取り組むつもりだったが、改めて気を引き締めた。
親が子どもを想って開かれる誕生日会で歌うべき歌。
フルールが覚えていて、仕事として振る舞える歌で相応しいであろうものはたくさんあったが、フルールは一番に歌うものを、両親が最期に歌ってくれたものにしようと決めていた。子どもの未来に、どうかたくさんの幸せがあれと願うあの歌はとても適当なものだし、フルールにとってすごく大事な宝物で、それを独り占めするのは憚られた。誕生日会には家族だけでなくお子さんのお友達や近所の人も参加して、宴のように和気藹々と楽しむ会らしい。だからそこで披露して、フルールだけでない誰かの心に残ればいいと思った。
歌は自由だ。
誰かが口ずさんで、また誰かに伝染していく。
大好きな両親の歌が、愛が、世界を彩る。
箒の上で、フルールは果てしなく広がる大地を見てうふふと笑った。
そして初仕事を終えたフルールはなかなかに満足して戻ってきた。
フローレスの家に帰るよりも先にフィガロに診療所に立ち寄った。ノックをして、名乗って、そわそわしながらフィガロを待った。「はあい」なんてゆるい返事が中から聞こえてきて扉が開いた。
「フィガロ先生!」
「わ! フルール! どうしたの、一大事……ってわけじゃなさそうだよね。急いで帰ってきたの? 髪の毛が乱れているよ」
「失礼」と言葉を落としながらフィガロはフルールの髪の毛を直した。
「初仕事はどうだった?」
「私の持ち得る全力をもって歌えました! 皆さんにも喜んでいただけたと思います。ふふ、ぜひ次はうちにもってご指名もいただけたんですよ」
「それはよかった。それで? 真っ先にルチルに報告しに行きそうなのに、どうしてうちに来たの?」
「そう! フィガロ先生に聞きたいことがあるんです!」
「なんだい? 先生に言ってごらんなさい」
「移動の魔法はとっても難しい高等魔術だとは存じているんですけれども、私にも修得できますか? お母様はできていたはずで──私にも『適性がある』と言ってはくれていて、方法だけはちょっと知っているんですけど……」
フィガロは「俺もそんな……できるというわけじゃないからな……」とわざと弱々しい声を出して唸った。
その様子を見て、フルールはやはり難しいかしらと思いながらも、今朝のミチルの様子を話して少しでも寂しい思いをさせないように、できることなら箒よりも早く帰れるであろう移動魔法をできるようになりたいのだと説明をした。
腕を組んだフィガロは何度か首を傾げて、しかし頷いた。フルールは両親から受け継いだ魔力や守護がある。それにとても努力家だった。だからおそらく、いつかの未来では無理なことでないだろう。それに、ミチルのことを想ってそんなことを考えるなんて、とても思いやりのあってあたたかくて胸がくすぐったくなる、フィガロ好みのお話だった。
「まあ、やり方と理屈は知っているし、教えることや監督することはできると思うよ。フルールなら、うんと頑張ればいずれできるかもしれない。きみのお母さんは結構うまくやっていたしね」
「本当ですか!」
「うん、その代わりに先生が見ているところでだけ練習するんだよ」
「はい! もちろんです! ありがとうございます、フィガロ先生!」
少女の満面の笑みはフィガロの心を満足させた。
「さあ、みんなが待っているんだろう。早く帰って、ゆっくり休んで。また今度、移動魔法の勉強を始めよう」
「はい、よろしくお願いします! お邪魔しました」
しっかりとフィガロに向かって頭を下げてから、フルールは駆け出した。
──ルチル、もうすぐ帰るね。
フルールは心の中でルチルに呼びかけた。ルチルからの応えも頭の中に響いた。ずっと一緒だった時はあまり気にしていなかったけれども、こうして離れていても会話ができるのはなかなかに便利かもしれない。
フィガロに直してもらった髪も、また風に揺れている。
気分が高揚していた。
世界がキラキラ光っている気がする。
早く、ルチルに会いたかった。
ルチルは玄関の横に座って絵を描いていて、フルールが帰ってきたのを見つけると笑顔で駆け寄ってきた。
「フルール、おかえり!」
「ただいま、ルチル!」
フルールはルチルの胸に飛び込んだ。ルチルはフルールを抱きしめてその勢いのままくるくるとまわった。
「大成功?」
「頑張った!」
「ふふ、良かった」
フローレス家のその日の夕食はルチルが作っていて、豪快だったけれどもフルールの初仕事お祝いのためのご馳走が並んでいた。みんなで成功を喜んで、そしてこれからの未来への希望を願った。
夜はみんなベッドにぎゅうぎゅうにつめて、色んな話をして、ちょっと夜更かしをした。
後日、移動魔法の習得は、やはり時間はかかったものの、フルールが懸命に努力したためにフィガロが予想していたよりもずっとずっと早く結実した。フルール以外の人を転移させることや、知らない場所に行くということはまだ難しかったが、フルールと竪琴や持っている荷物を知っている場所に移動させることは出来るようになった。やはり行きはほぼ箒に頼ることになるが、帰りの時間を短縮できるだけでも喜ばしかった。
ミチルのことをきっかけとしたが、フルールだって、みんなが待っている家を、いつだって恋しく思っているのだ。
