魔法舎で共同生活を始めてから少し経っても、やっぱり各地からの異変の報告書や調査の依頼書はなかなか少なくならずにいた。魔法舎に集められたそれらを整理するために晶は目が回るような忙しさだ。クックロビンにスノウやホワイト、それにフィガロも手伝ってくれはしているが、世界の隔たりは大きい。こちらの世界の文字が読めない晶は、まず報告書の内容を口頭で説明してもらわないと分からないし、地名や常識、文化なども全然違う。頭を酷使させ続ける時間がたいそう続いた。
なんとか区切りのいいところまで終わらせてから、晶は誰もいない談話室のソファに座り込んだ。行儀が悪いと思いながらもテーブルに突っ伏す。大きく息を吐いて、頭をぐりぐりと腕に押し付けた。
部屋の外から微かに声がし、足音が近付いてきたのでなんとか顔を上げて背もたれに体を預けた。
談話室の中に入ってきたのはティーセットを持ったクロエとルチル、それに大きめの籠を持ったフルールだ。楽しげに笑い合いながらも部屋に入ったら三人とも礼儀正しく晶に挨拶をした。そんな様子に自然と晶の頬も上がり、朗らかに挨拶を返した。
「こんにちは、皆さん。何かあったんですか?」
「フルールが美味しそうなスコーンを買ってきてくれたんです! ぜひ賢者様もご一緒におやつにしませんか?」
「食べたいです……!」
晶は前のめりに返事をした。勢いが良すぎて声がちょっと掠れた。美味しいものを食べないと回復できないくらいには疲れ切っていた。
「やった! ジャムとかクリームとかも色々買ってきたんです! お好きなものをつけて楽しんでくださいね」
そう言いながら颯爽とフルールはテーブルを準備し始めた。慌てて晶が「私も手伝います!」と声をあげたが、にこやかに「見ててください!」と制された。フルールが呪文を唱えるとテーブルの上に置かれたものが踊り出し、魔法使いたちはそれが当たり前と言わんばかりに即興でそれぞれ拍子をとったり鼻歌を歌ったりして、まるでひとつの出し物のようだった。ティーポットは宙を舞って紅茶を注いでいくし、スコーンはくるくると回転している。ジャムやクリームは虹のように弧を描きながらいくつかのお皿に収まった。晶が歓声を上げ、拍手をすると、次第にテーブルの上は行儀良くセッティングされていった。
「すごい! とっても素敵でした!」
「うふふ、ありがとうございます! 晶さん、お疲れみたいだなって思ったので、ちょっとでも元気を出していただきたくて」
「おおお……こちらこそありがとうございます……」
「賢者様って大変そうだよね……。本当にお疲れ様!」
「いやでも、実際に色々とやっていただくのは皆さんになりますし……皆さんがこういうふうに私のことを気遣ってくださって、良くしてくださっているのがとても嬉しくて、支えになるので、大丈夫です!」
みんなで温かいスコーンを割って、その香りを楽しみ、それぞれ自分の食べてみたいトッピングを選んで、「これがすごく美味しかった!」とか「この組み合わせが意外に合う!」なんてお喋りをしながらお茶の時間を楽しんだ。
その途中、ふと晶は思い至った。そういえば今日は途中で部屋を出たクックロビンがしばらくしたら暗い顔をして追加の報告書を持って戻って来た。そしてフルールが買ってきてくれたというこのスコーンたち。導き出される答えは、たぶん合っている。
「もしかして……今日もフルールは書類とかを取りに行ってきて、その帰りにこれを買ってきたんですか?」
「そうです、ちょっと寄り道しちゃいました! ……クックロビンさんには内緒にしてくださいね」
フルールは悪戯っ子のようにはにかんだ。
彼女はほぼ連日、必要があれば一日に何度も外に出て連絡係や雑用を済ませている。晶は現状、魔法舎で様々なことを処理することが多いので、頭は使うが体力的な消費は少ない。晶よりもフルールの方が疲れている可能性が高いのではないだろうかと晶は思った。
「フルールもお疲れ様です……」
しかし、そんな晶の心配をよそに、フルールは笑って大きく首を横に振った。
「ううん、私はあんまり疲れてないです。仕事で遠出をすることは慣れているし、結構体力だってあるんですよ!」
拳を握るフルールに、ルチルは柔らかく目を細めながら吐息で笑いをこぼした。晶とクロエは「おお……」と感嘆の声を漏らして拍手をした。そしてその姿勢のままクロエが言葉を続ける。
「フルールって結構体力あるよね。色んなところから書類をもらって、噂話とか事故とかの話もいっぱい聞いてきて、合間にお仕事で歌ってもいるんだっけ? 授業にもきちんと出てるみたいだし、すごいなあって思うよ!」
「ううん、そうかなあ……南の国では作物の収穫や動物のお世話なんかの大変な作業をみんなで協力することが多くて、それが日常だったから体力があるのかも」
「あとあと、朝運動してるのもあるんじゃない? 俺、フルールが走ってるのよく見るよ!」
「あっ、うん! それはしてる! 体力づくりと言えば確かにそうね、あと歌うための身体を作るって感じかなあ」
晶は「なるほど、確かに歌うのには体力と体幹が重要っていいますもんね」と頷いた。これはもう生活の一部すぎて自覚がないタイプだと直感した。
身体を伸ばして晶は思いを巡らせた。まだ進展は見えないが、偉い人たちの話が整ったら賢者の魔法使いと一緒に晶も世界中の異変の調査や解決に向かう。賢者は魔法舎の責任者のようなものだし、賢者にしか頼めない役割があるとスノウやホワイトは言っている。何より、できる限りのことをしたいという自らの考えがあるからだ。
「私も体力づくりをしようかなあ……」
「賢者様、お疲れでしたら無理はなさらないでくださいね」
ルチルが優しい声色でそう言ってくれたが、でも、晶は美味しくて楽しいおやつの時間で、ちょっと元気が出てきたところだ。
「疲れているのは確かにそうなんですが、でも、挑戦してみたい気分です!」
「そうですね、軽めの運動から始めると気分転換にもなっていいかもしれないですね!」
「それなら、賢者様さえよければ、明日とか……ううん、いつでもいいんだけど、一緒に朝の散歩に行ってみない? 俺、最近朝の散歩始めたんだ!」
クロエが朝に散歩していることを知らなかった晶は驚いて、しかし新しいことを知ることができて、それに誘ってももらえたことでとても胸があたたかくなった。
「はい、ぜひ行きたいです!」
そう答えたらルチルやフルールも身を乗り出した。
「私もご一緒してもいいですか?」
「私も!」
晶とクロエはふたりして同じように満面の笑みで「もちろん!」と答えた。
