次第にフルールは南の国だけでなく、様々な国を巡って歌うようになっていった。もちろん、その分南の国で過ごす時間は減った。それでも吟遊詩人の仕事を休みにした日には大地の恵みを収穫したり、動物たちの世話をしたり、壊れたものを直したりと、南の国の住人らしく周囲の人々と協力して生活に関連した仕事も続けている。さらには合間の時間を見つけて、より自分を高めるために練習を重ねたり、各国での新鮮な出来事をまとめたりと忙しくも充実した日々を送っていた。
そんなフルールの様子を見守りながら、ルチルの心の中にはずっと考えることがあって、決意していることがあった。
自身も教師の仕事に奔走していたが、ふたりで過ごせる時間を作って、ルチルはフルールの手を引いて、いつもの花園まで駆けて行った。
すれ違っているというわけではなく毎日共に過ごす時間はあったが、ふたりで一緒に花園に行くのは久しぶりのことだった。花園はいつも通りにのどかで心地が良くて美しかったけれども、一人で来る時よりもますますその魅力をあげている気がした。
ひとしきり一緒にとりとめないことを話して、歌をうたって、スケッチをして、それからルチルは話を切り出した。
「ねえ、フルール。ずっと、ずっと言おうと思っていたことがあるんだけれど」
「なあに、ルチル」
横に並んで座っていたのを向き直して、フルールの手を握った。
フルールは首を傾げながらルチルの瞳を覗き込んだ。
それはいつも通りのことだったけれども、その当たり前のことがとても素敵で、ルチルは口角をあげた。
フルールを見つめて、一呼吸を置いてから言葉を紡いだ。
「私と結婚してほしいって、ずっと言いたかったんだ」
フルールの喉が小さく鳴った。目が大きく開いて、唇はふるえていた。
やわらかな笑みを浮かべながら、ルチルはフルールが言葉を飲み込むのをゆったりと待った。
あたたかい日差しがふたりを見守っていた。穏やかな風が頬をくすぐる。優しい花の香りが周囲を踊った。
ルチルはずっとずっと、「結婚しよう」と言いたかった。このタイミングになったのは、きちんと自分の教師としての仕事を安定させてからにしようと思っていたからだ。フルールが吟遊詩人の仕事を始めた頃は、ルチルはまだ見習いの状態であった。きちんと教師の職についたのはそれから数年後のことだ。だから、フルールに比べてルチルの方が、仕事で身を立てるようになるのは遅かった。しかし、仕事が安定してから結婚を申し込むと決めたのは、フルールに劣等感や対抗心を抱いていたからではない。一緒に未来を紡いでいくにあたって、まず自分自身の足でしっかりと大地を踏み締めていたいという、ルチルの逞しくて気高い心のためだった。
「……本当?」
「本当! 私がフルールに嘘をつくと思う?」
「思わない! ええ、ええ! 思わないけど……本当? 本当に私たちは家族になれるの?」
フルールの目から溢れる涙がポロポロと光る。ルチルはそれをとっても素敵な宝石のようだと思った。彼女の目元を拭ったら当たり前に指が濡れる。でもそれは間違いなく、ルチルにとって世界一あたたかくて、うつくしい宝物だった。
「うん。今までだって家族だったけれど、それでも、私たちの関係性として、新しく確かなものを結びたいんだ」
「素敵、とっても嬉しい……」
フルールはうっとりと微笑んだ。ルチルはそれを見てますます笑みを深めた。
両手の指を絡ませて、ぎゅっと握った。額を合わせて、祈るように目を閉じる。
「私、本当にルチルのことが好き、大好きなの」
「私も、フルールのことが大好き。だから、唯一の存在になりたい」
結婚とは、ずっとお互いを愛し合って、そして一緒にいようという約束をすることだ。約束を破ったら力を失ってしまう魔法使いにとって、その意味は大きい。
でも、ルチルはフルールとならいくらだって約束をできると信じていた。そして、フルールも同様であることを知っていた。まだ年若い自分たちにとって、魔法使いの生涯はきっと想像もできないくらい長くて、そして変わるものもたくさんあるだろう。それでも、約束を守ると信じられて、お互いのことをずっと想って、一緒に歩んでいける。お互いがそんな存在だという確信があった。だから、ルチルは結婚しようと言って、それが断られるなんてことは少しばかりも思ってはいなかった。
そうであっても、ふたりとも、それを言葉にするのは初めてだった。心を言葉と言う形にのせて相手に伝えて、そうして約束をするのは特別なことだった。胸がどきどきと跳ねていて、顔が熱くなってくる。
無意識に、言葉にしたら何かが変わってしまうと恐れていたのかもしれない。いつだって「大好きだ」とたくさんたくさん伝えてきたけれども、結婚を約束するような「特別な好き」だということは伝えていなかった。確かにずっとあった恐れは正解だったのかもしれない。間違いなく変わったものが、ここにはあった。
ルチルはなんだかたまらなくなった。
溜息をこぼして、フルールの手を引き寄せて頬擦りをした。その手を放して、ゆっくりと彼女の髪の毛を耳にかける。そして、こめかみに唇を落とした。
フルールは口の中で笑いを漏らした。胸がいっぱいで、そわそわして、くすぐったかった。お返しにと頬に口づけをする。
ふたりで笑って、そしてちょっと息を吐いて、お互いの目を見つめた。
どちらからともなく顔を寄せる。ふたりの吐息が混ざっていった。
「……ルチルとミチルは、私が幸せにするね」
「違うよ、みんなで幸せになるんだ」
「うん、うん。幸せになろう」
「そう、一緒に」
「うん、一緒に」
心がきらめいて、浮き足立っていて、とっても幸せだ。
そしてふたりで一緒にいれば、これからもっともっとたくさん幸せなことをつくっていけると、そう思った。
