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第9話 心の奥に凍りついたもの

 フルールが談話室の扉に近づいていった途端にそのドアが開いた。隙間からルチルが顔を覗かせてキョロキョロして、フルールの姿を認めると顔を明るくさせた。
「フルール! やっぱり、来たと思った」
「ごめんね、お待たせしちゃったかしら」
「ううん、大丈夫。ヒースとシノに先に荷物を置いて来てもらったし、まだ話し始めてないよ。これ持つね」
 ルチルは流れるようにトレイを受け取り、そのままフルールを部屋の中へと促した。

 まだ話始めていないといっても、もうすぐ話始めるところではあったようで、先ほど食堂にいた人たちは全て揃って座っている。
「お待たせしました」
「ううん、大丈夫。正直あたたかい飲み物はありがたいよ」
 ヒースクリフは柔らかい声でそう答えたが、表情は緊張したままだった。

 フルールが簡単に味やトッピングの説明、それに紅茶もあることを説明する。それからルチルとフルールのふたりと、それにネロとレノックスにミチルも手伝って、飲み物は手早く配られた。

 南の国の魔法使いたちはホットチョコレートの味を確かめてから慣れた手つきで好きなものを入れて、晶と東の国の魔法使いたちは各々、そのまま飲んだり、一度飲んでからちょっとずつトッピングを足したりした。

 レノックスはホットチョコレートを数口飲み、両手で持ったマグカップに視線を落とした。この部屋にいる全員が彼の動作を目で追った。呼吸する音が気になるくらいに静まり返っている。
 そして、レノックスは静かにビアンカについて知っていることを話し始めた。真面目で優しかったビアンカが、呪詛に飲み込まれてしまい、そして処刑されるその瞬間のことまで、言葉を選びながらも淀むことなくレノックスは言葉を続けていった。

 他の魔法使いたちはそれぞれ相槌や疑問を挟んでいたが、フルールはじっと黙っている。ゆっくりと自分の中にビアンカのことを落とし込んで、心の奥を探りながらレノックスの話を聞いた。

 沈鬱な空気の中、レノックスは自分の知る話はこれだけだと区切り、ヒースクリフの話を促した。
 ヒースクリフが言うことには、ランズベルグ領で<大いなる厄災>の直後から季節外れのひまわりが咲き、そのひまわり畑の上空の何もないところから絞首刑の縄が垂れるという異変が起こっているらしい。それだけならば大きな害であるとは言えないが、領民たちの不安が大きくて暴動が起こりそうになっているということだった。「ひまわり畑の人食い魔女ビアンカの伝説」はそれだけ人々の心に恐怖を植え付けているのだろう。

 「力の弱い魔法使い」である南の魔法使いがいるのなら、正式な賢者の魔法使いとしての依頼の体制が整っていない現状でも──特に貴族が絡んでいるような複雑な事情があっても訓練という言い訳を立てやすい。しかし、それとは関係なく──フィガロはもしかしたらそういうことも頭によぎっていたかもしれないが──南の魔法使いたちは全員進んで手伝いを申し出た。
 それに続き、ネロと、そして魔法舎の生活で心労が溜まっていそうなファウストもランズベルグ領に共に赴くことを了承する。ヒースクリフやネロはファウストに気遣うような視線を送っていたが、ファウストは「大丈夫だ」と力強く頷いた。

 ランズベルグ領への出発は移動時間がかかることもあり、万全を期するために次の日となった。詳しいことは現地の状況を確かめてからとなるものの、現時点での情報を元に簡単に打ち合わせをし、それを終えてそれぞれ身体をじっくり休めるために早めに散開した。

 フルールはルチルに先に戻っていてほしいと言ってから、レノックスの袖を引いて、小声で尋ねる。内緒話というわけではないが、表立って話すことは憚られた。彼の話を聞いて、自分なりに出した答えを確かめたかった。
「レノさん、言いにくかったら答えなくてもいいのだけれど──ビアンカさんと私の両親って、お会いしたことがありますか?」
「恐らく面識はないと思うが……いや──」

 レノックスは大きな手のひらで自身の口元を覆い、一度瞬きをしてから言葉を続けた。

「俺が……さっき言っていた人間たちと決裂した事件の後、フルールの両親たちと偶然に出会って──あの方たちに、どうか同胞たちを助けるために手を貸してほしいと頼みこんで……」

 ゆったりとしたレノックスの声が一瞬止まる。視線を彷徨わせてからフルールを見つめた。

「その後の過程で、もしかしたら、会ったのかもしれない」

 フルールはその答えに驚くことはなかった。
 心の奥の凍りついたもの──フルール自身の記憶になくとも、どこかそれを知っているような気がしていた。その答えはひとつしか考えられなかった。両親から受け継いだものの中に、ずっと存在していたのだろう。

「──お父様とお母様は、助けられなかったんですね」

 レノックスはすぐに首を横に振った。

「あの方たちは、充分すぎるほどに助けてくださっていた。俺が最初に想定していたよりも、ずっと長く、色々と力を尽くしてくださった」

 穏やかに、しかし力強く断言するレノックスの言葉を聞いてフルールは頬を緩め、「ありがとうございます。もし差し支えなければ、また今度、お話を聞かせてくださったら嬉しいです」と言った。レノックスはゆっくりとフルールの頭を撫でた。

 部屋の隅で、ファウストとフィガロがその光景を眺めていた。

 ランズベルグ領に行く前、朝の支度の一番最後にフルールは立ち上がり、片足を軸として、もう片方の爪先を伸ばし、その先で身体の周りに円を描くように動かした。

 フルールの身に当然のように刻み込まれているかのように見えるその動作に、ベッドに座っているルチルは「それってなに?」と首を傾げた。フルールは「うううん」と唸って、同じように首を傾げながら答える。

「念のための、私にある守護の魔法の気配……お父様とお母様の気配を隠すおまじないなの」
「そっか、ご両親が遺してくれたもののひとつだね」
「ええ。お父様もお母様も長生きだったし、『こういうこと』がきっと起こるだろうって……予想していたのね」

 ルチルはフルールの手を引いた。フルールはそれに身を任せてルチルの横に座る。ルチルはフルールの腰を抱いて頭を寄せた。

「ルチル……世の中には……広くは歌われない歌があるわ」
「うん」
「物によって理由は色々あるけれど……その中のひとつに、歌うことによって、私の安全が脅かされる可能性があるものがある。そういうものはお父様が私の心の奥の奥にしまって、時が来るまでお母様が凍り付かせた──私、その事実や存在を知っていたし、その形の有り様を眺めることもできたわ。でも、まだ過ぎたものだと思ったから取り出すことはしなかったの」
「うん」
「──私、それをひとつ溶かしたわ。昨日レノさんが仰ってた事件の時の……魔法使いたちを逃がすための歌」
「……うん」

 フルールの声に悲しみや憂いの色は混ざっていなかった。でも、ルチルはフルールの手を強く握った。

「細かい状況は分からないけれど、お父様とお母様は恐らくビアンカさんに会ったことがあるわ。レノさんの話し方からすると、彼女の処刑の時にはいなかったし……多分その前に助け出すこともできなかった。想像だけど……もし彼女がお父様とお母様に見捨てられたとか、憎らしいとか……そういう感情を抱いていたとしたら、私が纏っているふたりの気配に、彼女の遺した強い気持ちが反応してしまう可能性がある」
 フルールは小さく息を吐いて言葉を続ける。
「──もちろんそんなことなんてないかもしれないけれど。そう、私の考えすぎが一番いいわ。だから、念のためのおまじない」

 ルチルの手を、今度はフルールが引いてふたりで一緒に立ち上がった。ルチルの両手をとって、フルールは微笑んで明るい声を出した。

「私、けっこう大丈夫なの。気にしていないと言ったら嘘になるけれど、そもそも歌は──言葉や芸術は、良くも悪くも心に直接、そして強く届いてしまう。憎悪や嫌厭を誘発してしまう恐れがある。それ自体にも、作った人にも、届けた人にも、全てのものに……。そのことはちゃんと意識をして、覚悟していたから」

 ルチルも違う立場であるが、そういうものを意識して、覚悟している。だから、悲しかったり、辛かったりする気持ちがどうしても別に存在してしまっても、フルールの「けっこう大丈夫」が偽りでなく正しくその気持ちであることは分かる。
 ルチルも目を細めて明るい声を出した。

「頑張ろうね、フルール」
「うん、頑張りましょう、ルチル」