いつも通り<大いなる厄災>がやってくる時期になるとフローレス家は南の国のみんなで賢者の魔法使いたちを見送って、そうして当日の夜には「どうか彼らが無事でありますように」と祈った。
しかし、その年はいつもと様子が違っていた。
家の外では風が悲鳴を上げて、大地が轟いている。今までなかった恐ろしさに、ルチルとフルールはミチルをしっかりと抱きしめた。誰が言い出すでもなく三人で寄り添いあって、みんなで一緒に寝ることにした。
次の朝に恐る恐る外に出ると、やはり外の様子はいつもと違っていた。甚大な被害はないものの、荒れていて、空気が重たい。
とても驚いて尻込みしたが、しかし彼らは数少ない南の国の魔法使いだ。そして自分には家の被害もなく、怪我もない。だから、周りのみんなを手助けするためにそれぞれが動き出した。
街中をまわり、崩れてしまったり壊れてしまったりしているものを直して、怯える動物たちを宥めた。軽い怪我をしている人を見かけたらその場で処置をし、自分たちではどうにもならなそうなくらいに具合の悪そうな人や怪我人はフィガロの診療所に連れて行った。
フィガロの診療所には<大いなる厄災>の被害を受けた人がやはりたくさん訪れていた。その様子を見て、三人は手分けしてフィガロの手伝いを行った。普段から魔法の勉強や薬草のことでフィガロと親しくしている彼らは勝手を知っていたので、それぞれ必要そうなところを手分けした。
そうしたらあっという間に時間が経って、みんなで昼食を作って、ひとまず<大いなる厄災>を乗り越えられたことを喜び、労りあって一緒に食べた。
そんな時に、ルチルとミチル、フィガロの三人に賢者の紋章が現れた。
百合の紋章を見て、フルールはその意味を理解して顔を真っ青にさせた。
そんなまさか、どうして、と喉の奥から湧き上がってくる言葉をぐっと堪えて、ルチルとミチルを強く抱きしめた。頭の中では様々なことがぐるぐるとまわっていた。送り出して、きっと帰ってくると思ってきた魔法使いたちが、もう帰ってこない。大事な人たちの中で自分一人だけが取り残された。自分一人が、大変な役目を努められない。ミチルはまだ大人になっていないのに選ばれてしまった。怪我をしてしまったらどうしよう。みんなが帰ってこなかったらどうしよう。泣き出したかった。でもそんなことをしてはいけないと分かっていた。
「フルール……」
ルチルが弱々しく呟いた。ルチルもフルールの背中に手を伸ばして、ゆっくりとさする。
そんな若い魔法使いたちの様子を見て、フィガロはわざと明るい声をあげた。
「ここはもう俺一人でも大丈夫だから、ゆっくり休んでおいで。昨夜は大変だったから、よく寝られなかったんじゃない? このことはあとで説明するよ」
フルールは大きく息を吸って、ぎゅっと目をつぶってから二人を解放した。
「大丈夫です! フィガロ先生、ありがとうございます」
「お気遣いありがとうございます、フィガロ先生。フルール、ミチル、それなら私たちは学校の様子を見に行こうか」
そう提案するルチルに対して、ミチルは「ボクは診療所のお手伝いをしていても大丈夫ですか? 魔法薬がだいぶ減っているでしょう?」と思案を巡らせながら言った。
そんなミチルにフィガロは微笑んだ。
「それならミチルにはここにいてもらおうか」
「フィガロ先生、ミチルをよろしくお願いします。ミチル、フィガロ先生がいるから大丈夫だと思うけど、何があるか分からないから気を付けてね」
「はい! 兄様も姉様もお気を付けて!」

学校に行く道すがら、ルチルはフルールの顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
「ええ、大丈夫。私も、できることをやります」
その笑顔は無理をしているふうではなかったので、ルチルはようやく安心した。
フルールも、ルチルの顔をじっと見た。
「あなたは大丈夫?」
フルールはルチルの手を取った。彼の手は普段よりも冷たくなっていた。
「ごめんね。ルチルこそ、不安だよね」
フルールは一度ルチルの正面に立ち止まって、彼の両手を包んだ。祈るようにそのまま額に当てる。
「ううん、私も大丈夫。不安だけど、でもフルールがそうやって想ってくれるから。大丈夫」
ルチルはフルールの方に身体を寄せた。目を閉じて、頭をフルールの肩の方に押し付ける。
だいじょうぶ、ともう一回囁いた。
それは蝋燭のようにふたりの心を少し照らして、そしてあたたかさをもたらした。
学校は、一人になりたくなくて、誰かを求める人の拠り所となっていた。
誰もがそれぞれの不安を抱いていた。
ルチルは生徒を見つけるたびに「大丈夫だよ」と抱きしめた。
泣き出してしまう子どももいたけれど、ゆっくりと背中をさすれば次第に落ち着いた。
束の間の休息として、学校に集まっていた人たちの前でフルールは歌をうたった。
フルールの記憶の中でこんなに<大いなる厄災>の被害が大きくなったことは一度だってなかった。恐らくみんなだってそうだろう。
歌は、こんな時にだって必要なものだ。心に寄り添って、慰めてくれて、そして前に進ませてくれる。
竪琴を弾いて声を響かせ、南の国の力強さを歌った。大丈夫。ひとりでは勇気を出すことが無理でも、みんなで力を合わせればよりたくさんのことをすることができる。それは、あたたかくて、優しくて、とっても素敵なものだ。大丈夫。厳しい土地にも咲く花々の香り、共に生きる動物の命の輝き、乾いた空気の澄んだ風音。大丈夫。みんな、きちんと覚えている。
だから、大丈夫だ。

夕方になってミチルと、それにレノックスを引き連れたフィガロが訪れた時には、すっかりフルールの心は落ち着いていた。南の国の賢者の魔法使いたちが全員帰ってこられなくなってしまったと理解した時には喉がヒュッと鳴って顔を伏せたが、しかし、だからこそ「できることをやる」という意思は強かった。
「街のことは私にお任せください」
そう胸を張ってフルールが微笑むと、ミチルは鳩が豆鉄砲を食ったような顔してフルールに問いかけた。
「姉様は一緒に行かないんですか?」
「ええ、私は賢者様の魔法使いではないから行くべきではないと思うの」
「……フィガロ先生、そういうものですか?」
「うん、賢明な判断だと思うよ」
ミチルはそう聞いて不安げに視線を下にやった。だって、生まれた時からフルールも一緒にいるのが当たり前だった。だから、今回も一緒に行くのが当たり前だと自然に思っていた。道が分かれるのはもっと先だと信じていたので、離れる覚悟ができていなかった。
「大丈夫よミチル。ルチルも、フィガロ先生も、レノさんも一緒。みんなあなたの力になってくれるの」
フルールはミチルの顔を覗き込みながら言った。小さかったミチルも、今やフルールより大きくなっている。それでもまだまだ寂しがりなままだ。
「……はい」
フルールはミチルの背中を優しく撫でた。ルチルはミチルの肩を抱いて「家に帰って準備をしようか」と促した。

若い魔法使いたちがその場を後にすると、レノックスはフィガロをじっと眺めた。
「フィガロ先生、別に魔法舎は賢者の魔法使いだけが入れるというわけではないでしょう」
「ん? ああ、うん。そうだね。守りの結界はあるけれども、それ以外の人を通さないわけではない。だから行くこと自体は可能だね」
「ならば何故、一緒に行こうと言ってあげなかったんですか」
「言った通り、賢明な判断だと思ったからだよ」
フィガロはそう答えたが、レノックスはまだフィガロのことを見つめ続けた。
その視線に居心地が悪くなったフィガロは降参の印に両手を上げて弁明を続けた。
「東の国の魔法使いは人嫌いだし、北の国も協調性が皆無だ。だから部外者が行くのはあんまり良くない。それに、魔法舎に一緒に行けばきっとあの子は身を粉にして賢者の魔法使いに協力するだろう。ルチルのために、ミチルのために、そして俺たちや世界のために。賢者の魔法使いとして選ばれたんであったらまだしも、その義務がないのにわざわざ呼んで、危険を増やしたくない。いくら俺やレノがいても、両親の守護の魔法が残っていても守り切れるかは分からない。だから賢明な判断だと思った」
レノックスは何度か瞬きをした。ルチルとミチルはフルールが一緒にいた方がきっといいとレノックスは思っていたが、しかしフィガロの考え方も理解できた。
「なるほど」
フィガロは決まり悪そうに頭を掻いた。ここまで自分の考えを言うつもりはなかった。レノックスはいつだって真っ直ぐだ。そこが良いところでもあり、居心地の悪いところでもあった。
「そう、優しい優しいフィガロ先生は、いつだってみんなのことを考えているのさ」
