幼いルチルとフルールはずっと仲良く過ごしていた。いつもいつも、一緒に行動していた。お手伝いをする時も、勉強をする時も、遊ぶ時も一緒で、喜びも悲しみも共に分かち合っていた。
チレッタの寿命が知らされたときにも二人は一緒にいた。
チレッタのお腹には新しい家族がいて、これからどんどん楽しい思い出を作っていけるという未来を、子どもたちはもちろん誰しもが思い描いてた、そんなタイミングだった。
チレッタからの言葉に、ルチルもフルールもとてもとても驚いて、最初は全く飲み込めなかった。それをようやく喉の奥に押し込めたら、代わりに涙があふれそうになった。
しゃくり上げて、今にもこぼれてしまいそうな時に動いたのが、その時一緒にいたチレッタの友人のミスラだった。
チレッタにミスラを紹介された時、フルールは自分たちの周りにあまりない空気を持った人だと思った。気怠げに立っていて、姿勢はよくない。燃えるような赤い髪をしているのに、彼の緑の瞳はひんやりとした氷を感じさせるものだ。しかし不思議と怖い感じはせず、圧倒的な存在感を持った、とても美しい人だった。
そんなミスラが、おもむろに腕を上げた。どこか気怠げなのに、人差し指だけが何かを指し示すように伸びていた。無意識にその先を辿ろうと視線を送ると、ミスラは平坦な声のまま呪文を唱えて人差し指のずっと先にある遠くの山を一つ吹き飛ばした。
ルチルもフルールも涙なんか吹き飛んで、ぽかんと口を開けた。
とんでもない魔法を使ったミスラは、そのままごそごそと懐を探って変なものを取り出した。それは干からびた腕のような見た目をしていて、ひどく生々しくて、決して見ていて快いものではなかった。その不気味さにフルールは思わず顔をしかめた。
ミスラはそれを魔除けだと簡潔に説明しながら、ルチルに差し出した。貰い物で、しかもお守りということでは邪険にするわけもいかず、ルチルはそれを受け取った。しかし、やはりルチルもフルールと同じように口をへの字に曲げていた。魔除けを持つ手もどこか恐る恐るという手つきだった。
──ねえ、フルール、これちょっと、こわいよねえ……。
フルールの頭の中にルチルの声が響いた。
ぱちぱち瞬きをしながらルチルの方を見ると、同意を求めるようにルチルが首を傾げた。
今まで起きたことがなかった不思議な現象だったが、ルチルとならそういうこともできるだろうと自然に納得した。
ルチルもきっとそうだろう。やったことはなかったけれども、フルールに対して、声に出さずに内緒話ができると思った。実際にやってみたらそれが至極当たり前のことのようにできた。きっとこれは、そういうものなのだろう。
フルールも声には出さずにルチルに語りかけた。
──ね、ちょっと、こわいね。
ミスラはそんな子どもたちの様子なんて気にもせずに、そのまま、チレッタの子どもたちは自分が守るという約束を告げた。
両親やチレッタに魔法使いの約束について聞いていたフルールは、そのことにもとても驚いた。ミスラが何を考えているのかが全く読めなかった。
今までに見たこともない、とても強い魔法を使う魔法使いの彼が、そんな簡単に約束をしてしまっていいのだろうか。守ってもらえるルチルや、チレッタのお腹にいる新しい命にとってはとても素敵な約束事だけれども、しかし相手には負担があるばかりだ。それが情熱的な人柄の魔法使いだったらまだ分かるものの、フルールにはミスラは熱さからは程遠い人に見えた。
しかし、ミスラの顔をじっと覗き込んでいると、無表情の中にもどことなく迷子のような、大きなものを抱えすぎて途方に暮れてしまったような雰囲気を感じた。
そこですとんと、確かに彼はチレッタの友人なのだと納得した。
フルールにはやっぱり理解しきれなかったが、きっと彼なりの何かがあって約束をしたのだ。
チレッタは「ミスラが守ってくれるなら安心」と笑いながら、同時に「フルールも私の家族なんだから、一緒にしっかり守ってね」と豪快なことを付け足した。
当事者のフルールはとても焦った。自分は血のつながった子どもではないから、大事な約束にまざってしまっては良くない。ましてや一方的に守ってもらうという、魔法使いにとっては不都合な約束事だ。
本当は辞退すべきだろうと思った。でもチレッタの気持ちがとても嬉しくて、自分からは断りたくなくて、隣にいるルチルの腕にぎゅっとしがみついた。
そんなフルールの様子を見てチレッタは柔らかく笑い、ルチルは宥めるようにフルールの手を包んだ。
ミスラが腰を曲げてフルールの顔を覗き込んだ。端正な顔が近付く。気怠げだが、冷ややかな瞳がフルールのことを映した。フルールもミスラを見つめ返した。強大な魔法を扱う人の機嫌を損ねてしまった可能性もあっただろうが、恐ろしさは全く感じなかった。一種の信頼が既にミスラに対して生まれていた。彼がどんな選択をしても受け入れられるだろうと思った。
「まあ、いいですよ。あなたのことも守ります」
そうして約束はいとも簡単に結ばれた。
そんな時にも一緒にいたのに、肝心な、一番ルチルを一人にしてはいけない時に、フルールはそばにいられなかった。
チレッタが突然産気づいた時、家には大人が誰もいなかった。ルチルの父親であるモーリスも、フィガロも、レノックスも、近所の人も。頼れる人は誰もいなかった。
フルールはルチルに「フィガロ先生を呼んでくる」と言って家を飛び出した。一刻も早くフィガロを呼んでこなくてはならないと思った。まだ一人で箒に乗ることは許されていなかったから、必死に走った。
足がもつれそうになる。
草が肌をかすって痛みがにじんだ。
呼吸が浅くなって息が苦しい。
風が目に染みた。
でも今までなかったくらい速く、速く走った。
南の国の集落は小さくて、人が少ない。息を切らせて駆ける幼い子どもを、すぐに誰かが見つければ何かが違ったかもしれない。
でも、そんなことは起きなかった。
体力を使い切ったフルールを抱き抱えたフィガロや、知らせを受けたモーリスがフローレス家に駆けつけた時には、全てが終わっていた。
大人が慌ただしく行き交う中、フルールは重たい身体を動かして、蹲るルチルの横に、一緒になって座り込んだ。
「ルチル……ルチル、ごめんね」
「フルールはわるくないよ」
「ごめんね、ごめんね、いっしょにいられなくて」
「ううん、ううん……。フィガロ先生をよんできてくれてありがとう。母さまは、いっていたんだ。弟をよろしくって。フルールといっしょにって」
ルチルは胸元をぎゅっと抑え、たくさんの溢れ出しそうなものを堪えようと懸命になっているようだった。すぐにでも雫が溢れてしまいそうな目を大きく見開いて、眉をぎゅっと寄せて、床を見つめている。
フルールは氷のように冷たくなってしまっているルチルの手を、そっと包んだ。
指を一本一本ときはなって、代わりに自分の指を絡ませた。
「うん、うん、ずっといっしょに」
フルールは繋いだ両手をそのままにルチルに身体を寄せた。
だってここには二人しかいなかった。フィガロもモーリスも、チレッタと新しい命のことに手一杯で、この寂しい部屋の隅にはたった二人だけだ。慌ただしい声が聞こえてくるけれども、ここはひどく静かだった。
これ以上ルチルに寒い思いをさせたくなかった。フルールの身体だってすっかり冷え切っていたけれど、それでも一人よりは二人の方がずっとあたたかい。それをフルールに先に教えてくれたのはルチルだった。やさしくて、あったかくて、きらきらしていて、そしてとっても大好きな人だ。
だから、約束なんてするまでもなく、フルールがルチルを守るのは当然のことだった。
ルチルの目から大きな滴がこぼれ落ちた。フルールの目からもこぼれ落ちていった。
二人で抱きしめ合って、縋り付いて、小さな子どもたちは、それでようやく声を上げて大事なひとの喪失の悲しみを分かち合うことができた。
たくさん泣いた後にようやく会ったフローレス家の新しい家族は、ぷくぷくして、あったかくて、やわらかくて、とてもかわいかった。
失ったものも大きかったが、それでも新しく、無条件に愛おしくて、絶対に守ろうと思える存在が生まれた、大切な日だった。
