魔法舎でくつろいでいると、軍艦鳥に変身させられていた中央からの使者がやって来た。どうやら手違いがあったらしく、まだ時間がある筈だったパレードの開始時刻が間近で、すぐに出発しなくてはならないということだった。
皆ばたばたとパレードに向かう支度をしていく中、ルチルは慌てながらもフルールに尋ねた。
「フルールはどうする? 行く?」
「行く! パレードを見たい!」
「よし、じゃあ途中まで一緒に行けるね!」
そしてフルールはルチルと一緒に支度をした。フルールは遠出をし慣れていることもありすぐに準備が終わったが、ルチルはあれこれと戸惑っていたので、フルールがそれを手伝った。
賢者の魔法使いたちが次々と箒で飛び立ち、フルールもその後ろの方についた。見たところ箒を乗るのに不慣れな人はいなさそうだが、それでも賢者の魔法使いが遅れてしまうと大変だ。だから、もし万が一があった場合にはフルールが補助をしながら飛ぼうと思っていた。幸いにも最年少のミチルも、お友達のリケも大人たちに遅れずについて行っているためにその懸念は現実にはならないだろう。
空から地上を見下ろすと、<大いなる厄災>による爪痕が色濃く残されていた。雲の街もその影響がなかったわけではないが、眼下の様子や他の国の魔法使いの話を聞く限り、まだ被害が少ない方で、世界中には恐らくもっと甚大な被害を受けたところがあるのだろう。フルールは顔を歪めて胸元をぎゅっと押さえた。
フィガロは、だからこそ英雄が必要なのだろうと言った。同時に、それは危険な賭けだとも付け加える。それに溜息を吐きながら苦々しく同意をしたのはファウストだ。「人間どものしそうなことさ」と彼は眉をしかめた。
フルールも吟遊詩人としての仕事を初めてから、少なからず魔法使いと人間の確執を見てきた。きっとフルールより長く生きている人々は、もっとたくさんの苦しみを見てきて、様々な想いが心のうちに秘められているだろう。
フルールは、魔法使いも人間も皆が協力して生活を営む南の国の生まれで、そして自由を歌い世界を巡る吟遊詩人だ。だからフルールの愛している南の国のあたたかさを世界中に伝えられたらという想いがあるが、しかしそれは他の人の想いを否定したり、害したりしたいわけではない。でも、どうか、ひとりひとりの心や誇りが尊重され、生きやすい世界になりますようにと願わずにはいられない。
「みなさん、落ち着いてください……。それでも、私たちがいることで、誰かの希望になるはずです」
ルチルが静かで、でも芯のある声でそう言った。
人間たちが、パレードで石を投げてくる可能性があるというのは十分あり得る可能性だとフルールは思った。それでも、ルチルの言っていることだって何も間違っていない。鼻の奥がつんとした。人間と魔法使いが手を取って、そこに信頼を抱いて希望を見出せれば、きっと祝福の花の舞う空が見られることだろう。難しいことかもしれない。でも、それを信じたかった。
そこに忠告するのは、やはり人間のことをよく思っていないらしいファウストだった。
──もしミチルが暴徒化した人間に痛めつけられそうになったら。
ルチルは答えを返せなかった。フルールも、顔を真っ青にしながら言葉を発することができなかった。
だって、フルールは賢者の魔法使いではない。
フルールの一番の負い目はそこだった。その場にいたら当たり前にミチルのことを庇って守る覚悟はある。しかし、賢者の魔法使いでないフルールは、彼らを手伝うことはできても、特有の役目をこなすことはできない。だからどうしたって離れる時間が長いだろう。もちろん賢者の魔法使いであったとしても四六時中一緒にいられるわけではないが、大切な家族の中で自分だけがその役目から逃れてしまったことは、フルールの心の深い重石となっていた。
そんなフルールに、昔から慣れ親しんでいた大人たちの頼もしい声が届く。自分が守ると穏やかに告げるフィガロと、他の人の分まで愛想を振りまくと不器用な笑顔を浮かべるレノックスの姿はフルールの胸をあたたかくさせた。
「レノックスさん、かわいい」
「レノさん、力が入っちゃってるんですよ! 普段の方が素敵な笑顔です」
「えっ、姉様はそんなしっかり見たことあるんですか!?」
「あのね、お話ししてる時にお顔をよく見ていてご覧なさい。ちょっと頬が緩む瞬間があるのよ、ミチル」
クロエが、自ら作った誰もが認める素敵なローブと正装を取り出したこともあり、和やかな雰囲気となった一同に、やがてアーサーが箒に乗って合流をした。クックロビンはあれやこれやと小言を言っていたが、アーサーは意にも介さず賢者へと挨拶をしてパレードの馬車へとみんなを案内した。
箒から降りて、ルチルとフルールは連れ立ってアーサーの近くに寄った。パレードまでそう時間はないだろうけれども、ここで挨拶をしないことは不義理だし、次の機会はいつになるかは分からない。
「アーサー様、こちらが妻のフルールです」
「この度はありがとうございます、アーサー様」
そう礼をすると、アーサーは朗らかに笑う。
「早速来てもらえたんだな。こちらこそありがとう」
フルールはまだあまり身分の高い人々に接する機会がなかったため、中央の国王子様と挨拶をするということで緊張していた。父親がずっと昔に西の国貴族だったことと、両親共に貴族から歌を請われることもあったそうなので、生家には多少の行儀作法のメモが残っていた。しかし、フルール自身が実践をするのは初めてだ。
だが、アーサーのその風格がありながらも柔らかな雰囲気に、きっとありのままの自分でいても大丈夫なのだろうと目元を緩めた。
「そうだ! フルールもパレードの後のパーティに共に来ないか? パーティではパートナーを連れてきている者も多くいるから、問題はないだろう」
少しだけ考えてからフルールは首を振る。
「素敵なお誘いではありますが、申し訳ございません。賢者の魔法使いでもない魔女がお城のパーティにいては皆様を不安にさせてしまうことでしょう」
先ほどの話があったからということもあるが、やはり中央の城で歓待を受け、その存在を知らしめるのは「世界を救う賢者の魔法使い」であるべきだとフルールは考えている。そこの線引きをしっかりしないと、人間たちに良い感情は持たれないだろう。ともすると中央の国を乗っ取るために訪れたと誤解されかねない。
「そうか……。悔しいことに確かにその恐れがないとは言い切れないな。皆のことを考えてくれて感謝する」
苦々しい顔をしながらアーサーは同意した。しかし、明るい声で続ける。
「しかし、いずれ、吟遊詩人としてあなたを招かせてくれ。世界中の美しいものや人々につたわる話を歌ってくれる吟遊詩人は、王宮の者たちにとって憧れの存在だ」
フルールも頬を紅潮させて満面の笑みを浮かべて応えた。
「ええ、いずれ、ぜひ。吟遊詩人たちにとっても中央の王宮は憧れの存在ですもの。末長くお付き合いいただけますと幸いです」
フルールは賢者の魔法使いではない。でも、想いを届ける吟遊詩人だ。頼りになるフィガロやレノックスほどの効果はないかもしれないが、世界中で愛想を振舞うことはできる。魔法使いたちの切なる想いや、人間たちの途方もない祈りを歌える。
フルール自身は魔法使いだからどうしたってその目線で世界を見ることしかできないけれども、だからこそ歌えるものがきっとある。そして、想像の羽を伸ばすことは、誰にだって開かれている自由なものだ。
何も起こせないかもしれない。でも、何かが変わるかもしれない。
フルールの歌を聞いた人々が次の瞬間にもその内容を失念してしまったとしても、その歌を聞いている時に感情が動かされたということは消えない。彼らの体が覚えている。耳に心地良かったこと。胸が沸き立ったこと。そして心も、それを忘れない。フルールはそう信じている。
石を投げられてもどうってことはない。両親からの守護の贈り物はずっとフルールを包んでいるし、彼らが、そして数々の吟遊詩人が紡いできた歌は確かに心に刻まれている。
ムルの奔放で快活な声が頭の奥で鳴り響いた気がした。自分たちは魔法使いだ。だからどんなものでも自由に変えられる。
南の国の、力のない魔法使いだって、きっと世界を変えていける。フルールの愛するものを届けて、誰かの心にいつか花を咲かせることができたなら、どんなに素敵なことだろう。子どもの時から思っていることだ。そんな途方もないことを、奇跡を、ずっとずっと祈っている。
