膠着状態のまま数日が経ち、ファウストに付き従っていったレノックスを除いた南の魔法使いたちと、それに同行を申し出たリケとブラッドリーは中央の都に訪れた。
フルールがこの前来た時よりもさらに中央の都の様子は荒れていた。徐々に復興が進んでいるはずなのに、それを感じさせないほどに雰囲気が重苦しい。
フルールが施していたおまじないは本当にささやかなものだったから、その変化を押し留めることなんてできなかった。
おまじないの様子を見て溜息をこぼすと、後ろからフィガロが覗いて「このおまじないはフルールが?」と聞いた。それを首肯すると、フィガロは満足そうに頷いた。
「うん、よくできているよ。きっとこれは不安な人々の心に寄り添って、混沌とする夢の中でも道標となってくれていたことだろう」
フルールは落としていた顔を上げた。細められたフィガロの瞳と視線が合う。
「本当ですか? 皆さんのお役に立てていましたか?」
「大丈夫、先生は嘘を言わないよ」
「フィガロ先生、けっこういい加減なことも言っていますよ」
「ええ、そうだっけ?」
そうやって戯けるフィガロを見て、フルールは表情を緩めた。のらりくらりといい加減なことを言うのも本当だけれども、今の言葉が嘘でないことだってきっと本当だ。それくらいはフルールでも分かっている。
「ふふ、冗談です。ありがとうございます、先生」
フィガロは励ますように軽くフルールの背中を叩いた。
「さあ、手伝ってくれるかな。患者さんがたくさんいるみたいだ。フルールのおまじないがあれば百人力だよ。お仕事に支障がありそうならバレないようにこっそりでいいから」
フルールは腕まくりをして拳をあげた。
「はい! がんばります!」

日がすっかり沈み、暗闇の中を<大いなる厄災>が支配すると、辺りの空気は一変した。
人々の悲鳴が響き渡って、足を縺れされながら何かから逃げていく。その元凶を見ようと目を凝らすと、人の姿はかろうじて保たれているものの、明らかに一目でそれが生きていないと分かる、本能的に忌避感や悍ましさを感じさせる姿がそこにあった。
「あれは……甦った死者……!?」
そうルチルが茫然と呟く。
世の理に逆らい、眠りから目覚めてしまった存在。平穏な生活を過ごしていれば決して出会うことのないものに若い魔法使いたちは言葉をなくした。
住民に襲い掛かろうとする死者をフィガロが颯爽と返り討ちにするが、甦った死者たちはどんどんと辺りから集まってきて、その数は減りそうになかった。
しかし、フィガロは冷静さをなくさずにルチルたちに先に行くように指示をする。
ルチルやフルールは躊躇いながらもそれに従った。微笑んで「ミチルとリケを頼むんだよ」とフィガロに言われたら、断れるはずがない。
それに、魔法を教えてもらっている身だからよく理解しているが、フィガロは知識はもちろんその場その場での対応力も自分たちより断然ある。いざという時に逃げることくらいきっとできる。そういう信頼と確信があった。だから、自分たちはまだ力が及ばないミチルとリケを逃した方がいい。これは役割分担だ。
心配そうに後ろを振り返るミチルの手を引いて、フルールは明るい声を出した。
「大丈夫よ、ミチル! すぐに追いつくって言ってらしたでしょう。先生のことを信じてさしあげて!」
「……はい、姉様!」
しばらく走ったところで、以前にミスラから荷物を預かったと言っていた子どもが道端に蹲っているのを見つけ、ルチルとフルールは駆け寄った。
彼はガタガタと震えながら、しかし顔には脂汗をにじませていた。ハンカチでそれを拭きながら、フルールの背中にも変な汗が滑り落ちていくのが分かった。
「触るな」と力なく声を出してお腹を抱える少年から、何か嫌なものを感じる。
ルチルもそれに勘付いたのか、抵抗する彼に「ごめんね」と謝りながらも容赦無く服をめくった。
子どもの薄かったであろうお腹はぼこりと膨らんでいて、その異様さにフルールは思わず眉をしかめる。リケやミチルも近くに寄ってきて、その少年の様子に唖然としていた。
明らかに、良くないものがお腹の中に存在する。
それが何かは分からない。経験も魔法の強さもまだまだ足りていないから、治すこともできやしない。
それでもフルールは少年の手を取り、額に当てて呪文を唱えた。聞こえてくる息遣いが多少穏やかになったが、それ以上には改善しない。やはり大元の原因となっているであろうものを取り出さない限りは悪化の一途を辿るのみであろう。
少年がお腹に隠しているそれがミスラのくれた宝石だと譫言で漏らした時、「そうですよ」とその本人の冷たい声が響いた。
フルールは勢いよくミスラの方に向いて、ルチルたちを庇うように移動した。
ミスラはチレッタの友人で、そしてルチルとミチルと、ついでにフルールを守ることを約束してくれた。
「言葉が足りなくて何か行き違いをしているのかもしれない」とか、「孤高の北の魔法使いが無力な人間の子どもを利用するのは考えにくい」とか、いろんな思いが頭を駆け巡る。
でも、そんなことを言えるほど彼のことを知っているわけではない。そして、もしそんな何かがあったとしても、こみ上げてくる嫌悪感を拭い去ることはできない。それは正義感だとか倫理的なものだとかそういう大層なものではなく、ただただフルールの心が悲鳴をあげるからだ。
わざわざ彼は惨たらしい方法を取ることを選んだ。それならば、たとえ同じ賢者の魔法使いがいるからと言えどもこちらにも危害を加えてくるかもしれない。そんな胸中のざわつきがある。空気が張り詰めていて、肌がピリピリとしている。
ミチルがミスラに抗議をすると、嫌な予感の通りに躊躇いなく攻撃が襲ってきた。ルチルとフルールが魔法を使うことでそれをかき消すことができたが、ミスラは静かに殺意を露わにし、淡々と「その子どもを渡しなさい」と要求を続けた。それをルチルが跳ね除けたら、間髪入れずにまた魔法が撃たれた。魔法で防御を張る間もなく、辛うじてフルールがそれを全て受け止めた。
しかしその勢いそのままにフルールはルチルたちを超えてさらに後ろに吹き飛ばされた。
「フルール!」
「大丈夫! 行って!」
何房かの髪の毛がちぎれて辺りを舞っていた。それを魔法で集めて胸元で握りしめる。
吹き飛ばされて、その衝撃で髪の毛がちょっと切れただけだ。自分の状態は自分がよく分かっている。
両親の遺した守護のおかげでフルールには怪我はなく、痛みもない。それでも、攻撃が守護の魔法を上回ったのは驚愕的なことだった。今までどんな事故や理不尽があっても、その全てをフルールから遠ざけていたのがこの守護の魔法だった。今まではこんなふうに吹き飛ぶことなんてなかった。絶対的なものだと信じていたものは、彼の魔法に対してはそうではない。しかし、守護が全く効かないわけではない。その有効性はまだ存在する。フルールは自らを包む守護の魔法がまだとけていないし、弱まってもいないことを理解していた。
ルチルが箒で飛んでいく背中を視線で追いながら大きく息を吸って、体の奥底にためて、ゆっくりと吐いた。歌う時と同じように、舞台に上がる時と同じように、心を落ち着ける。
大切な人を守るために、自分にできることはちゃんと存在する。そしてそれを実行することができる。
フルールは駆け寄ってきて不安げな顔をしているミチルとリケに笑いかけながら箒を取り出した。
「ミチル、リケ、私はルチルを追いかけます。ふたりはお城の方に逃げて。フィガロ先生もきっとそちらに向かっているはずだから、すぐにあの子の治療をできるよう、伝えて」
そうして返事も聞かないままにフルールは箒に乗ってルチルを追いかけた。
