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子守唄の話

 雲一つない空が広がり、陽があたたかく降り注ぐ日にミチル発案から、晶とリケとルチルとフルールの五人で魔法舎の中庭でピクニックをしながらお勉強会をすることとなった。格式張ったものではなく、ノートもペンもいらない気軽なものだ。
 リケとミチルとフルールで、ネロと一緒にサンドイッチやサラダやデザートを作り、晶とルチルで敷物やクッション、それに緻密な絵が描かれている図鑑や装飾が美しい絵本なんかを準備した。

 料理中にリケとミチルのふたりはネロのことも誘ったが、「勉強会」という言葉を聞いた途端にネロは肩を竦めて「柄じゃねえから」とやんわり断った。リケはその言葉にちょっと口を尖らせたが、ミチルとフルールが宥め、ネロが苦笑いをして「覚えたことがあったら俺にも教えてくれよ」と言ったらあっという間に機嫌を直して「もちろん!」と胸を張った。

 バスケットにたっぷりの美味しいものを詰めたリケたちが中庭に到着したら、まだ晶とルチルはわたわたとセッティングをしている途中だった。

「あははっ敷物大きすぎましたね!」
「ああっ、そっち、そっち抑えてくださいルチル! 風! 持ってかれるー!」
「わあ!」

 そこまで風は強くなかったけれども、晶もルチルも大きい敷物に動揺していたのか、出番がまだであるはずのクッションまであちらこちらに散乱していた。

「あっ、お昼ごはん作ってきてくれてありがとう! ちょっと待ってて! 《オルトニク・セトマオージェ》!」
 ルチルが呪文を唱えた途端に敷物が地面に伏せ、クッションは音を立てて勢いよく積み重なった。
「もう、兄様! 雑なんだから!」
 ミチルはそう言いながら靴を脱いで敷物に上がり、膝を揃えてしゃがんでそれを綺麗に並べる。そしてクッションの山を崩してみんなが座りやすいように置いていった。リケもそれに続いて場所を整えていく。フルールはルチルと晶にバスケットの中身を見せながら食器や飲み物を出していった。

 そうやってみんなで協力したらお昼にするにはまだちょっと早い時間に準備が完了した。ご飯に手をつけないまでも、それぞれピクニックの始まりを楽しんでいた。

 コップを空に透かしながらリケは目を細める。
「こんな風に地べたに座って外で飲食をするというのは、不思議な気分ですね」
 それを聞いてミチルは目を丸くした。
「雲の街では、みんなで収穫をする時とかお祝い事があった時とか……ただ遊びに行く時もありましたが、色々と機会があったので、不思議だと思ったことがなかったです」
「そうなんですね。僕はワクワクもしますが、ちょっといけないことをしている気分です」
 そう言って視線を下げたリケに向かってフルールはあたたかい声をかけた。
「そうね、私たちの故郷には何にもない広い土地があったから親しみがあるけど、地域によっては同じようにやらない所もたくさんあるはずよ。風土や文化、慣習の違いね。例えば都会の方なんかはこうやって地面に座るんじゃなく、椅子とテーブルを用意するとか」
「ラスティカさんとクロエさんがよくやってますよね! あれ、格好良くていいなあって思うんです!」
 ミチルが歓声を上げる横でルチルも手を叩いて勢いよく頷いた。
「じゃあ、今度やってみようか! おふたりもお誘いして!」
「ぜひ! やりたいです!」
「わあ、とても楽しみです……!」

 そんな様子を見ながら晶が笑みをこぼしていたら、突如として背の高い影に太陽の光が遮られた。何かと思ってそちらを見やると、険しい顔をしているミスラが仁王立ちをしていた。そして低く唸るように言葉を発する。

「賢者様、こんな所にいたんですね」

 晶の心臓が周りに聞こえそうなくらいに早鐘を打ち始めた気がした。飢えた獣を思わせる気配だった。ここにはミスラを止められるような実力を持った魔法使いはいない。彼が何かをしでかしたら何としてでも舌戦でごまかさなくてはならない。
 しかしそんな心配をよそにミスラは靴も脱がずに敷物に寝転がり、晶の手を取って目を閉じた。

「もう何日も寝ていないんです。寝させてください」

 ミスラの端正な顔を視線で辿ると、ただでさえその美貌を邪魔している目の下の隈がいっそう存在感を増していた。それで耐えきれなくなって晶のことを探していたらしい。

「ミスラさん、ここは土足厳禁──」
 ミチルがそう言いかけたのをフルールが軽く制し、かわりにミスラの顔を覗き込んだ。
「ミスラさん、靴を脱いだほうがリラックスして寝やすいと思いますよ。脱がせてしまってもいいですか?」
「勝手にしてください。俺は寝られればいいんで」
 ルチルも同じように顔を覗き込む。
「追加のクッションと、あとブランケットもお昼寝にはいいですよね! 持ってきます!」
「はあ」

 パタパタと動くルチルとフルールを見ながら、晶はもう片方の手をミスラの手に重ねてみた。どういう仕組みでミスラが寝られているのかは未だに分からないが、それでも晶はミスラがゆっくり寝られればいいと願っていた。ルチルとフルール、それに長身のミスラが存分に寝られるようにか端に寄っているリケやミチルだってそうだろう。

「──そうだ。ねえ、さっき地域によってこういう風に食事しないところもあるって言ったじゃない? あのね、子守唄も色々なものがあるの」
 フルールが小さな声で秘密を囁くように言った。
「そうなんですか? みんな同じかと思っていました」
「うん。基本的にみんなゆったりとした音楽だけど、子どもの成長を祈るものとか、世界の美しさを歌ったものとか、『どうしてこんなに寝てくれないの』なんて恨み節もあるわ。ミスラさんも眠たいみたいだし、せっかくだから晶さんとリケとミチルにも聞いてほしいわ」

 三人の承諾を得たフルールは竪琴を取り出して爪弾き始めた。

 どこか懐かしさを覚えるような音が静かに、しかし広く響き渡った。

 ブラッドリーがおなかを鳴らしてキッチンにやってきた。その場にネロしかいないことを気配で確認してから「おいネロ、なんか食うもんねえか」と声をかけた。
「昨日の夜に変なところに飛ばされちまって、全然食ってねえんだよ」
 ネロはそちらを向くでもなく昼食の準備を続けながら答える。
「サンドイッチしかさっと出せるもんがねえぞ」
 そのサンドイッチは子どもたちの前でお手本としてネロが作ったものである。実のところリケたちが多めに作ってネロにくれたものもあったが、ネロはそれをブラッドリーにくれてやる気はからきしなかった。

「もっとガツンとくるもんねえのか」
「いま作ってんだよ、黙って待っとけ」
「へーへー」

 中庭で歌っているフルールの声は、キッチンにもかすかに届いていた。ネロはそれに合わせて時折鼻歌を歌っている。彼の後ろにいるブラッドリーのことなんてお構いなしだ。もしくは、己が歌っている自覚すらないのかもしれない。

 子守唄なんて柄じゃないだろうにとブラッドリーは思った。ブラッドリーがよく知っているネロは盗賊団のネロだ。東の国で飯屋を営んでいるネロではない。凍てついた夜を幾つも過ごしてきた魔法使いには生温すぎると感じた。それでも、この単調なリズムは覚えやすくて口ずさみやすいのだろうか。

 出されたサンドイッチをあっという間に食べ終えたブラッドリーは机に頬杖をついてネロの後ろ姿を眺めていた。

 中庭の、しかしリケたちとは少し離れた所にいたカインとヒースクリフは「この子守唄は知ってる!」「これは親戚が歌っていた気がする!」と話が弾んでいた。

 シノはその斜め後ろにいた。

 シノは子守唄なんて何も知らない。その事実自体は別に構わなかった。彼は己の生き方を否定することはないし、後悔することもない。でも、なんだか居心地の悪さを感じてさらに一歩後ろに下がった。
 ヒースクリフがそれに気が付いて「シノ、どうかした?」と尋ねてくるが、シノ自身にも説明することはできなかった。カインもシノの方を見て首を傾げた。シノは日が当たらない木の影から、「なんでもない」となんとか言葉を振りしぼった。それしかできなかった。

 カインは分からないながらもシノが話に入る気がないことは分かった。シノの背中を勢いよく叩いて違う話題を口にした。その勢いで、シノは木陰から飛び出した。
 シノはカインに不満をぶつけた。
 しかし、カインは快活に笑ったし、ヒースクリフもそんなふたりを見て堪えきれないように笑みをこぼした。シノはヒースクリフがこんな風に笑うのなら、まあいいかとも思った。それは言葉にはしなかった。

 その様子を近くの木の上にいるオーエンはただ見ていた。
 普段だったら言葉の刃を向けるところだが、気が乗らなかった。穏やかで、柔らかくて、あたたかい歌が辺りに広がっている。

「……つまんないの」

 オーエンは小さく欠伸をした。鳥が彼の肩にとまった。

 聞こえてきた子守唄に、クロエはちょっと複雑な顔をしてしまった。
「クロエ? どうかした?」
 ラスティカが、クロエのぎゅっと握った手を優しく包んだ。同じ部屋にいるシャイロックやムルの視線もこちらに向いていると気付いたクロエは早口で言い訳をまくしたてた。

 ただただクロエは自分の家族のことを思い出してしまっただけだ。クロエは今聞こえている子守唄を知っている。実家で歌われていたものだ。しかし、クロエが眠れなくて、怖くて、辛い夜であっても、両親が自分に歌ってくれたことはなかった。それらは全て姉たちへのプレゼントであった。

 事情を聞いたラスティカは宝物のようにクロエの手を掲げた。

「大丈夫。僕が子守唄を歌うよ。いつだって、クロエのために」
「そんな、いいよ。それに、ラスティカの方が早く寝ちゃうんじゃない?」
「それはそうかも。子守唄は眠りに(いざな)うためのものだからね」

 首を傾げるラスティカにそのまま手を引かれ、クロエは「わっ」と声をあげながらもダンスを踊るようにくるりと回った。移動した先にはムルがいて、そのままムルの胸に閉じ込められた。顔をあげたら、ムルの瞳はキラキラとビジューのように輝いていた。

「それなら、俺たちでもっと盛り上がって楽しくてたまらない子守唄を作ろう!」
「素敵だね。きっと楽しい夢を見られるよ」
「えええ、眠れなくなっちゃうんじゃないかな……」

 困惑の色を隠せないクロエの顔を、シャイロックがその長い人差し指でゆるやかに辿る。

「おや、クロエは夜更かしはお嫌いですか?」

 軽く顎を押されるままにシャイロックの方を見ると、ムルと同じように彼の瞳は星の煌めきを抱いていた。

 子守唄とはちょっと違うものになりそうだが、でも、ワクワクして、ドキドキして、素敵な予感にあふれている。

「ううん、とっても楽しそう!」

 ファウストとレノックスは朝から買い出しに行っていた。
「悪いな、付き合わせて」
「いいえ、俺も欲しいものがありましたから」
 もちろんファウストと共にいる時間を持ちたいという気持ちもあったが、欲しいものがあったのも事実だ。レノックスはルチルたちに誘われて買い物に行くこともよくあるが、そういう場所だけでは買えないものもあったので、ファウストと行く機会を持てたことは僥倖であった。

 魔法舎に帰ると、微かに子守唄が響いていた。
「フルールか」
 視線を中庭の方に彷徨わせながらファウストが声を上げる。
「そうですね。フルールは、両親譲りのあたたかい歌を歌います」
「フルールはいい歌うたいなんだな」

 短い沈黙の後、小さな声でファウストは尋ねた。

「彼女の両親は?」
「フルールが小さい時に亡くなりました」
「……そうか」

 ファウストは目蓋を閉じた。レノックスはそれに合わせて口を噤んだ。

 レノックスは記憶を辿った。いま聞こえる歌は、あの吟遊詩人の夫婦がフルールによく歌っていたものだった気がする。彼らはいつだって嬉しそうに、楽しそうに、フルールに向かって子守唄を歌っていた。それが、レノックスにはとても眩しく見えていた。

 オズとアーサー、それにスノウとホワイト、フィガロも一緒に中庭に面した窓辺を通りかかった。その時聞こえてきた子守唄に、突如としてアーサーが顔を輝かせた。その浮かれた色を隠そうともせずにアーサーはオズに近寄り尋ねる。

「オズ様、この子守唄を覚えてらっしゃいますか? 私が眠れない時に歌ってくださいましたよね!」

 オズは視線を外し、少しの間なにも答えなかったが、ゆっくりと頷いた。
 それを見たスノウとホワイトが「あのオズが子守唄なぞ知っているとは!」と目を丸くした。
 オズは顔をしかめて端的に「……フルールの親が」とだけ口を開いた。

「オズちゃんはあの夫婦がお気に入りだったからの!」
「偉いぞ、オズちゃん! あやつらが歌っていた子守唄をアーサーに歌ってあげるとは!」
「成長っぷりに泣いちゃう!」
「いい子いい子してやろうかの!」

 スノウとホワイトが「きゃっきゃっ」とはしゃぎながらオズとアーサーの手をブンブンと振っている横で、フィガロも静かに納得していた。おそらくこの間オズから聞いた、あの夫婦がフルールを守るためにオズに忠告しに行った時のことだろう。子守唄を歌うくらいには彼らは図太く滞在していたらしい。

 その子守唄があったと思い出して、記憶から掘り返して、アーサーに歌ってやった。その事実は今までのオズから考えると本当に驚くべきことだ。

 フィガロは口端に笑みを浮かべて、アーサーに「今度また歌ってもらいなよ」と言った。オズはますます顔をしかめた。

 ミスラは目を閉じながら子守唄を聞いていた。ゆったりとしたリズムに柔らかい言葉、あたたかい声色はたいそうつまらなかった。
 それでも、なんとなく聞き覚えのある節があったように思う。でも、記憶の中のものはもっともっとキツい声だったし、途中歌詞なんか吹っ飛んでたし、「えーっと」とかも入っていた気がする。
 自分は「なんですかそれ」とか聞いたかもしれない。答えが何だったのかは忘れた。
 それも別に気のせいかもしれない。
 確証はなかったし、ミスラにとってはどうでもよかった。

 でも、なんとなく花の香りがした気がした。

 ルチルは子どもの時のことを思い返していた。

 ミチルが生まれて、チレッタが亡くなってしまって、まだ心が落ち着かなくて寂しい夜。そんな時に、フルールはよく自分の部屋を抜け出してルチルの部屋のベッドに潜り込んでいた。
 ルチルの父親であるモーリスも子どもたちの様子をきちんと見ていたけれども、ミチルの世話にも奔走されていたから、ルチルとフルールはお互いの心の隙間を埋めるように一緒にいた。
 フルールはその時に、たびたび子守唄を歌ってくれた。それはチレッタがよく歌ってくれた歌で、フルールは、チレッタの歌い方をとてもよく真似て歌ってくれた。ルチルの背中をぽんぽんと叩いて小さく紡がれる子守唄は、眠そうな声だったし、子どもの舌足らずなものだったけど、本当にそっくりだったのを覚えている。

「母様」

 ルチルは瞬きを数回した。無意識に声が出てしまったが、周りの様子を見る限り誰にも聞こえていないようだ。

 一曲が終わり、しかし同じような旋律が繰り返された。ただ、その前のものとかなり調子が違う。

 そういえば昔、フルールが「チレッタさまの子守うた、わたしのお母さまがおしえたものなんだって。でも、ちょっとチレッタさまのアレンジがいっぱいなの」と笑っていたことがあった。

 地域や、文化、それに個々人の違いで色々な世界が広がっている。リケもミチルも、まだまだこれからたくさんの違いに触れていくだろう──もちろんルチルやフルール、それに晶もそうだ。ミスラの登場で思いがけない子守唄の会になったが、このピクニックをどうやって進めていこうかなと何となく考えながら、ルチルはみんなが食事に進めるようにちょっとずつバスケットを開け始めた。

 太陽が真上の方に昇って、その光で魔法舎を照らしている。