ミスラとなんとか和解して、きっとこれならもう大丈夫だろうと気が緩んだ時、ミスラの容貌をした男が再び攻撃を仕掛けてきた。
彼はその擬装を解いて、自らを「ノーヴァ」と名乗る。
吟遊詩人という職業上、世界中の色々な話を聞いているフルールにも、ミスラが苦戦するくらい強いノーヴァという名前の魔法使いに思い当たる節はなかった。
強い魔法使いといえば北の国だ。北の地に行く時、まだまだ魔法を使いこなせているとは言えないフルールは、安全を考えて北の魔法使いたちと交流することがほとんどない。そのため、北の事情に詳しいとは言えないが、それでも漏れ聞こえてくるものは色々とある。強大な力が存在していると、たとえ名前が伝わらなくとも、外見だとか、雰囲気や存在感だとか、起こした出来事だとか、そういったものがポツポツと聞こえてくる。
欠片も人々の口に出てこないのなら、ノーヴァはきっと表に出てこなかったものか、隠されてきた存在なのだろう。それも、ひどく念入りに。
そのノーヴァが子どもを渡すことを再度要求をする。ミスラも気怠げに渡すことを提案するが、ルチルもフルールもその気は全くなかった。ミスラの助力が得られなくとも、ふたりがノーヴァに全く敵わなくとも、それでも守られるべき存在である子どもを見捨てることは、自分の心を殺すようなものだった。
ノーヴァが再び構えた時に、ブラッドリーとネロが勢いよく飛び込んできた。その勢いのままにブラッドリーが呪文を唱えてミスラを攻撃する。慌ててルチルが口を挟むと、ブラッドリーとネロもノーヴァを見る目が厳しいものとなった。それでも、月明かりのように凛としたその人は泰然とした態度を決して崩すことはない。
ミスラは呪文を唱えて空間の扉を作り、ルチルとフルールをその先へと誘った。ルチルは逡巡し、フルールはルチルに少年を渡して残ろうとした。しかし、ミスラの「どうか、死なないで」という小波のように響く声を聞いたら、否を返すことができなくなった。
フルールは最初こそ吹き飛ばされ、髪の毛もいくらか切れてしまったけれども、怪我はない。守護の魔法がずっと正常に働いていることを理解している。少年やルチルがいなければ、状況によってはすぐさま空間魔法で逃げることだって可能だ。危険は重々承知だが、それでも死ぬつもりなんてない。だから、残ってルチルと少年が逃げられるように少しでも時間を稼ぐつもりだった。
でも、ミスラがそんなふうに、切なる願いを唱えるかのように言葉を紡ぐのなら、それに応えたいと思った。「チレッタの喜ぶことをしてやりたかったのかもしれない」と告げてくれた彼の気持ちを尊重したい。ルチルたちを封印するのをやめて今だけでも、ほんの少しでもこちらに心を開いてくれたのだから、彼のその気持ちに報いるべきだと感じた。
「……っ、わかりました……!」
「皆さん、ご無事で!」
「誰に言っているんですか」
ルチルとフルールは頷き合ってミスラが作った空間の扉を通り抜けた。

ミスラは正確にフィガロの場所を見つけ、そこに扉を繋げてくれたようで、ふたりが躍り出てきたその正面にフィガロの姿があった。ミチルやリケも無事な様子で一緒にいたので、フルールはほっと息を吐いた。
ルチルが事情を説明し、それを聞いたフィガロがフルールの腕から少年を受け取ると、すぐさまその原因が月の石であることを見抜いた。その眉を顰めながらも、彼を助けられると柔らかな声で告げる。
ファウストが辺りを浄化し、それを確認したフィガロは少年の汗で張り付く前髪を優しく撫でた。石を取られないように少年は首を振って抵抗するけれども、その動きは弱々しい。
ゆったりと、フィガロは少年に語りかける。体力も心も限界であろう小さな子どもに、すっと染み込むように穏やかで、易しい言葉を使う。自分を取り戻せるように、未来を生きていけるように。
それを受け入れるように少年が──ジュードが目を閉じると、フィガロは呪文を唱えて彼の腹から月の石を浮かび上がらせた。万が一にもジュードの体に負担をかけないように、慎重に取り出していく。
皆が固唾を飲んで見守る中、完全に月の石が宙に浮かび、その不気味な光ですっかり更けてきた夜空を照らした。
「……っよし、取れた」
「良かった……!」
他にも具合の悪いところがないかを確認し、フィガロはジュードをフルールに抱かせた。「大変な思いをたくさんしただろうから、起きたらシュガーを食べさせてあげて」と朗らかに微笑む。
ルチルたちも周囲に集まってジュードの顔を覗いた。すっかり夢の中にいるようで、寝息は落ち着いている。子どもの血色の良くなった頬を見て、一様に肩の力を緩めた。
魔法使いたちは口々に呪文を唱えた。
彼がぐっすりと眠れるように。
良い夢を見られるように。
少しでも体力が回復するように。
もう禍々しいものに魅入られることのないように。
彼が彼らしく幸せをつかめるように。
「《サンレティア・エディフ》」
「《オルトニク・セアルシスピルチェ》!」
「《オルトニク・セトマオージェ》」
「《カルピムス・ディエム》」
「《フォーセタオ・メユーヴァ》」
魔力は決して強くない者たちだが、祝福を与えることは不得手ではない。生きてきた道が違っても、人と繋がり、人と交流し、人のことを祈って生きてきた。そんな魔法使いたちが、歴史になんて残らないであろう今夜の小さな英雄に報いてささやかな贈り物を授けた。
子どもの目元が緩んで、ゆるりと口角が上がった。
